若者の洋楽離れと洋楽隆盛時代
2013年1月27日 13:04
最近読んだブログ記事で印象に残ったのが「いつの間にロック少年は「洋楽」を聴かなくなったのか?(ドリルスピン・コラム)」でした。
クラブに行く20代が減っているとか、海外の新しいバンドがそんなに目立たないなとか周りでも聞かされたりで、漠然とそんな気はしていたけど、こうきちんと説明されるとやっぱりそうなのかと納得してしまいました。
そう言う自分も確かに、ジェイク・バグもこのコラムで知ったし、ワン・ダイレクションなんかも最近知ったばかり。最近エポックメイキングな音に出会ってないなと。洋楽の誘引力が減っているのでしょうか。
Jake Bugg
そもそも何で、若い頃自分はそんなに一所懸命に洋楽を聴いたのか?
当時は明らかに音が邦楽と違って格好良かった。その格好良い音の背景にあるイギリスやアメリカの新しいカルチャーに興味を持ち、それをインタビューやグラビアで丁寧に教えてくれる音楽誌が多くありました。
そこからそんな彼らのモノの考え方やライフスタイル、ファッションなどを知り、自分の中で選ぶモノを選ぶ指針になりました。
しかし海外の音楽に何か新しい刺激を求める時代はもう終わった過去の古臭いパターンになってしまったんでしょうか。
確かに今の邦楽は洋楽を聴かなくても良いぐらいクオリティーが上がっているかもしれないし、最早取り入れるべきライフスタイルもあまり無くなってしまったのかもしれません。
日本のガラパゴス化という言葉は誇示か自嘲なのか微妙だけど今は割と肯定されるようでもあります。
でも日本は昔から外に興味を持ち影響を受けながら独自の文化を創り続けてきました。古くは中国から、そして近代では西欧から文化や技術を取り入れそれを手がかりに新しい自分達の文化を作って来ました。ちょっと前の新聞のコラムで、江戸時代にペリーが初めて江戸城謁見の時に彼らの一行は、憎悪の目で見られたり襲われたりするのじゃないかと恐る恐る上陸すると、人々は老若男女問わず好奇心満々の表情で面白がって子供達は行列の周りをきゃっきゃと喜び走る回る始末で、そんな国は今まで何処にも無かったのでとても驚いたそうです。そういうちょっと異常なまでの好奇心(記事では野次馬根性と書いてましたが、ちょっと違うような気がします)が外の技術や文化を積極的に取り入れ消化し独自の新しい発展の元になったと書いてました。
そんな好奇心の固まりならではの音楽体験や出会いてんこ盛りの本を、ちょうどこのブログを読んだ頃に読みました。
久保憲司氏著「ダンス・ドラッグ・ロックンロール」です。
自分も買付けの仕事なんかで、この本の時代と同時期、同じ様な場所に行ってました。
マンUの聖地オールド・トラッフォードで808staetsをバックに歌うソロデビュー前のビョークのライブを観たり、ファクトリーの新社屋をトニー・ウィルソンに案内してもらったり、ニューヨークの教会をクラブにした場所で伝説のDJラリー・レヴァンで踊ったり、旅の中で色んな音楽体験をして、それはさやかな心の中の自慢でしたが、そんな自慢話など一瞬で吹っ飛ぶような貴重な体験、出会いのオンパレードてんこ盛りです。
写真家という彼の特異なポジションだから出来た体験が多いのですが、強い好奇心や音楽に対する愛情が積み重なって、それがまた新しい出会いを引き寄せ行った様は圧巻で、80年代からの20年間に渡り現場に立ち会ったまさに洋楽全盛時代のクロニクルです。
今日では、わざわざロンドンやベルリンに取材で出かけて、インタビューやスティールを撮る必要が無くなり、彼のように実際に多くのアーティストの近距離に身を置く人はもういないかもしれません。
でも新しい形、それがSNSなのかYoutubeやVIMEOなのかわかりませんが、若い人にもまた自分も含めて久保氏と同世代の人にも、彼のような強い好奇心で新たなクロニクルを作って行ってもらいたいと思います。
本の内容には殆ど触れませんでしたが(読んでのお楽しみという事で)、個人的に衝撃的だったエピソードを一つだけ。
エイフェクス・ツインのリチャード・D・ジェームスがライブの時、スゴいセット機材群に全く電源を付けず、ただ音源を流してやっていたこと(笑)
大雨だった初期のフジロック、涅槃姿で雨煙の中、横たわりながら機材を操る彼の神がかった狂気のライブパフォーマンスに狂喜し、ずぶ濡れで踊らされた、あの日の自分を返してー。笑
まあ、だからと言って彼へのリスペクトは変わらないんですけどね。
text by Akira Aratake