shop33とその後の物語 第二回 ステロタイプ 児玉健一 vol.2

2018年8月 5日 12:00

前回に引き続き、児玉健一さんとの対談をお届け致します。
今回はブランドや山田さんにまつわるお話を中心にしていただいております。


◆1996年


児玉 ステロタイプもおかげさまで創業22年ですよ。

荒武 そっかー。そういえば、児玉さんから会社の作り方というかどうしたらいいのかって相談の電話があったの覚えていますよ(笑)。

児玉 相談しましたね(笑)。会社設立を全部自分でやっていたので、会社の定款ってどうするんですかって質問した記憶があります(笑)。

荒武 定款かーって(笑)。ちょうど車で原宿のお店に向かう途中で、車を止めて電話に出た記憶があるから、それが22年前の話なんだね(笑)。

児玉 あ、でも創業自体は96年なので、会社組織にしたのが2000年なので18年前くらいですね。

荒武 じゃああれから18年ってことか。

児玉 荒武さんと出会ってからだと20年超えてますからね。時が経つのは早いですね。



荒武 96年ってことはレインボー2000があった年ですよね。レインボーには出店されました?

児玉 出店しました。渋谷にトリビュートっていうお店があって、アシュラとネンドとトリビュートの3社合同で出店したんです。あの時はTシャツが飛ぶように売れました(笑)。あの日の夜はホント寒くて、みんな踊って汗かいて、そのまま夜を向かえてだったので。

荒武 あの頃はまだみんな野外フェスに慣れてなかったから。日を跨いで踊るっていうことを誰も経験してなかったので、夜の冷え込みとかわかってなくて。僕も新聞紙巻いてましたもん、寒さのあまり(笑)。

児玉 アシュラのトレーナーとかパーカーとか長袖も持っていってたんですよ。それは速攻で売れました、昼は全然売れないのに(笑)。

荒武 それは生命維持装置としてみんな買っていったんだろうね(笑)。僕らもTDR(The Designers Republic)Tシャツ作って出店してたんですけど、仕事しないで踊ってました(笑)。



荒武 UnderworldとKen Ishiiがすごい盛り上がって。Extraの時に森本さんのPVもモニターに流れてて最高でしたね。
 



児玉 夜でしたよね、最高でした!あ、そうだ。その時に人づてに紹介してもらってNU/KEの2人と会ったんです。33ではNU/KEのTシャツを見ていて、これは誰が作ってるんだろうって思ってたんですけど、なかなか会う機会もなくて。彼らと初めて話をしたのがレインボー2000でしたね。そこからすごく仲良くなって。アシュラとNU/KEで一緒に色々とやりましたね。

荒武 なるほどー。そこからの付き合いも長いですもんね。フジロックは出店したの?

児玉 最初のフジロックで出店ブースを借りてTシャツも持っていってたんですけど、あの伝説の嵐でTシャツを売ってる場合じゃないって事になって(笑)。そのまま2日目も中止になっちゃって。だからあの嵐の中、Tシャツ持って下山するのが超大変でした(笑)。



◆ブランド、山田大補氏

荒武 ブランドっていくつか展開されていましたよね?

児玉 そうですね。実は僕たちって意外といくつかブランドを出してるんですよ。おそらく皆さんの記憶の中ではアシュラがあって、次にユナイテッドブレイクス。

荒武 あ、そうそう!ユナイテッドブレイクスの森首相をモチーフにしたデザインがエッジが効いててすごい好きでした(笑)。

児玉 ユナイテッドブレイクスは本当に後期の方で、2000年から山田の亡くなる2003年の3年間やりました。





荒武 そうだよね。アシュラの展示会で山田くんから新ブランドやりますって、ユナイテッドブレイクスを説明してもらったのを覚えてますよ。

荒武 児玉くんと山田くんの二人は出身は愛媛でしたよね?

児玉 愛媛の新居浜ってところですね。

荒武 そうだ、新居浜だ!新居浜でEMITAIってブランドをやってる友達もいましたよね?

児玉 彼も同じ高校の同級生です。33にも置いてましたよ。

荒武 そうですね、結構売れてましたね。



児玉 あの頃はアシュラをみて、ブランド始めたみたいな友達も結構いたんです。

荒武 そうそう。アナウンサーの丸橋くんもアシュラのTシャツを見てブランドを始めようと思ったって言ってたからね。

児玉 そういえば、97年頃に33で初のステロタイプの展覧会的なものをやらさせていただいたんですよ。大阪のロンディスと東京は33で。

荒武 あの時期は結構濃くやってましたよね。

児玉 そうですね。展覧会的なものも含めて色々やってましたね。

荒武 あれ?展覧会は他にどんなものをやったんだっけ?

児玉 2004年の山田の追悼展です。最初に原宿のYAMAHA EX’REALMでやって、最後に33でもやらせてくださいって荒武さんに相談して。

荒武 新店舗に移ってからですよね。

児玉 そうですね。最後に山田の作品をお世話になった33のファンの皆さんにも見てもらいたくて。



Yamada_Tsuitou02.jpgのサムネール画像
当時の記事http://next33.com/fp/200410-1.shtml


荒武 山田くんのグラフィックって思想が入ってましたよね。なんというか、予言が入っているというか。

児玉 例えばタイポグラフィーとかのキーワード選びなんかものすごいセンスが入っていて、グラフィックデザインだけではなくそういった感覚も含めて凄かったなって思います。アシュラでラスベガスの展示会に3年位出てた時期があったんですけど、彼のデザインは海外でも評価されてましたからね。

荒武 行ってましたよね。あれはオファーがあったんですか?

児玉 きっかけはニューヨークでショールームをやってる会社からお話をいただいて、はじめは半信半疑だったんですけどね。騙されたと思って海外挑戦やってみようって感じで、思い切ってラスベガスのマジックショーに出てみたんです。そしたら海外でもアシュラのデザインが評価されて、海外の取扱店舗がどんどん増えていって。一時期、バーニーズニューヨークの本店にアシュラのTシャツが並んでましたから(笑)。そういった部分でもやっぱり山田のデザインは凄かったし、彼のおかげで色んな経験させてもらったと思いますね。もし彼が生きてたらどこまで活躍してたのか、きっと日本に留まってなかったと思いますね。



荒武 村上さんが攻殻機動隊の仕事をやって、次の次の日くらいにお店にきた時に、「荒武さん、山田くんは本当に天才だよ。彼はやばいよ。」って興奮気味に言い切ってましたからね。山田くんとはもともとどういう関係性でしたっけ?

児玉 小学校からの同級生ですね。

荒武 そこがお互いに奇跡だし運命ですよね。山田くんも児玉くんがいなかったら東京に来ていなかったかもしれないし。本当にすごい才能がある人でしたよね。


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Vol.3はこちら

Photographed by Kei Murata
 

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