shop33とその後の物語 第二回 ステロタイプ 児玉健一 vol.3

2018年8月12日 12:00

児玉さんとの対談第3回をお届け致します。
今回は村上隆さんとのお仕事のお話や、カルチャーの入り口などについてお話していただきました!
前回の様子はこちら


◆新しいメディアの出現



荒武 そういえば、渋谷のQフロントでイベントをやりましたよね。

児玉 懐かしいですね(笑)。実はステロタイプのトークショーだったんです。トークショーなのにバリカン持って坊主頭にするパフォーマンスしたり。今考えると無茶苦茶でしたね(笑)。実はあのイベントすごく画期的なことをしていて、まだ全然インフラ環境が整っていない時代に、インターネット生中継っていう斬新なことをやったんですよね。まだユーストリームが始まる何年も前の話だし、インターネットがISDNの時代に主催企業さんが新しいことにチャレンジしたイベントでしたね。ウチの嫁さんも会場には来ずに家のMacで見てましたね。

荒武 ちゃんと映ってたのかな(笑)?

児玉 いやー、640×480くらいのサイズで、動画はカクカクだったらしいですよ。

荒武 あれって何年くらいだったっけ?

児玉 確か1998年とかそれくらいだったかな。ネットで動画なんて見れない時代でしたし、Youtubeもなかったですからね。

荒武 CD-ROMで動画を配布するのをチャレンジし始めたくらいの時期だよね。ゲームとかもCD-ROMに移っていって。PSの攻殻機動隊も参加されてましたよね?

児玉 攻殻機動隊はサントラCDも含めてゲームのジャケットデザインなどもやりました。特にあのサントラCDは20年前の作品なのに、今だに「攻殻のCD持ってるよ」とか「あのCDは最高だった」って言っていただけるのがすごいです。






荒武 ジャケットもかっこよかったし、ゲームも良かったし、サントラも参加してるアーティストも含めてすごい良かったよね。そしてそれをディレクションしたのが弘石くん(元33スタッフ、現U/M/A/A代表)っていう(笑)。

児玉 あの当時、33と弘石さんのつながりって知らなくて。お仕事でお会いするようになって関係を知ったんですよね。

荒武 弘石くんは学生時代からうちのスタッフであり、ソニーテクノのプロデューサーになってからも影の相談役のような存在でしたね(笑)。攻殻のCDのアートディレクターだった村上さんがテクノに非常に興味を持っていた時期でもあったのでステロタイプに話が行ったんだと思います

児玉 CDリリース後に恵比寿ガーデンプレイスで攻殻機動隊のイベントもあって、スゲー豪華なDJやアーティストが出演してましたよね。会場では村上さん率いるカイカイキキとステロタイプで攻殻機動隊Tシャツを作って販売したり。懐かしいですね。





◆アパレル業界から現在の仕事へ

児玉 アシュラを終わりにしたのはいつだったかな。確か2004年だったかな。

荒武 じゃあそれでアパレルは終わった感じですか?

児玉 いや、その後にLOCE(ロス)っていうブランドを3年ほどだけやって。

荒武 あ、そうだそうだ!LOCE大好きでしたよ。オレンジレンジの人も着てましたよね。黄色のロンTを着てて、それですごい売れてたんですよね。

児玉 LOCEは今までとは毛色を変えてやってましたね。

荒武 その頃にフリペーパーの取材で湘南に行って今回みたいな対談を収録させていただきましたよね。

児玉 鵠沼海岸の砂浜で対談しましたね(笑)。
※当時の記事:http://next33.com/fp/200404-1.shtml



児玉 96年から2007年までアパレルをやっていたので10年は続けたんですね。でも時代って怖いですよね。ユニクロ以降にファッション業界が変わったというか、洋服の価値観が変わってしまいましたよね。

荒武 そうですね、個々のお店の時代ではなくなってしまいましたからね。それこそファストファッションでH&Mとかが出てきて。もうそういう流れの中では33はついていけてなかったですね(笑)。

児玉 あれは下北だったかな?荒武さんに「長らくお世話になったんですけど、もう洋服を」っていう話をしたんですよね。

荒武 ありましたねー!居酒屋で話したんですよね。でもなんとなくわかってました、もう辞めるんじゃないかなーって。時代の流れがあるので仕方ないかなとか考えながら。

児玉 でも本当に33にはお世話になりました。今回の対談のお話をいただいて僕にとっての33ってなんだろうって考えてたんです。それで出てきたのが「母校」でした(笑)。



荒武 いやー、そう言っていただけるとなんとも言えない感慨がありますね。

児玉 その母校にはいろんなスゴイ人たちがたくさんいて、それで校長先生の荒武さんがいて(笑)。

荒武 でも本当にすごいひとたちがうじゃうじゃいましたもんね(笑)。でもその中でもステロタイプは光ってましたよ。



◆それぞれの90年代

荒武 これからの話をしたい内容なんですけど、突然ですが児玉くんって黒沢の羅生門は見たことあります?

児玉 ずいぶん昔に見たことあるんですけど、あまり記憶に無いですね。



荒武 羅生門って登場人物が7,8人出てきて、裁判官の前でそれぞれ話をするんですよね。ただ、同じ内容を話しているのに、話す人によって全然視点が違っていて。だからそんな感じで、僕たちは90-00年代に同じような空間にいましたけど、僕が見てきた視点と児玉くんが見てきた視点って違うと思うんですよ。だからそういった部分を含めて、33のことやアシュラのことだけでなく、児玉くんが見た90-00年代のことについて伺って、僕と児玉くんとそれぞれで感じていた視点で話をしていければと思っていて。まずは、2018年現在と90年代の違いについて聞いていきたいんですが…。

児玉 幅が広いですね、どこから話したらいいか(笑)。まずは僕のイメージの33から話しますね。やっぱり33ってテクノカルチャーとグラフィックのイメージで他にはない独特のショップだったと思います。山田はそういった33カルチャーにドンズバでしたけど、実は僕は音楽でいうとハードコアとかパンクとか、そういったものが好きで。

荒武 そうだったんですね。でもアシュラの初期のデザインってハードコアのイメージもありましたよね?

04.asyura_T-Shirts03_RRR.jpgのサムネール画像



児玉 あれは僕ではなくて、山田が好きだったガバとかハードコア・テクノのイメージだと思います。彼はずーっとそういった音楽を気が狂うくらいの大音量で流しながら仕事してたんで(笑)。ただ、元々高校の頃に僕も山田もバンドをやってた時期もあったんですけどね。彼はレピッシュとかユニコーンとかのコピーバンドやってて、僕はボウイとかBUCK-TICKとかのコピーをやってました(笑)。田舎に住んでたんで、そういったポップな音楽を聞いてたんですけど、大阪や東京に出ていって色々聞く音楽が変わってきましたね。

荒武 じゃあやっぱりカルチャーの入り口は音楽ですか?

児玉 音楽とファッションでしょうね。当時古着とかアメカジ、渋カジってのが流行ってたじゃないですか。それでとにかく洋服を買いに行くのが大好きで、将来は洋服屋をやりたいなと思ってたんですよ。それがいつの間にか、自分たちで作ろうに変わっていって。

荒武 その時好きなブランドってありました?DCブランドとかですか?

児玉 DCブランドが流行った後の世代なので、ストリートブランドとかですね。

荒武 そっかそっか。あの頃ってニードルスとか、スーパーラバーズとかのストリートブランドがカッコ良かったですよね。僕はその前のDCブランドとか、なかなか買えなかったですけどコムデギャルソンが好きでしたね。後は、日本でビームスとかが出てきて。ビームスでいうと、ビームスのチーフ・ディレクターだった南馬込さんがペパーミントカフェにいらしてお話してたんですよ。それで、33の話を聞いてみたいって逆に言われて(笑)。それで「33ってセレクトショップですよね」みたいなことを言っていただいて。

児玉 33は著名なファッション業界の人たちからも一目置かれてましたから。

荒武 いやいや(笑)。

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Vol.4へ続く。

Photographed by Kei Murata
 

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