shop33とその後の物語 第二回 ステロタイプ 児玉健一 vol.4
2018年8月19日 12:00
前回に引き続き、引き続きステロタイプ児玉さんとの対談第4回です。同士であるNU/KE、そしてshop33への想いを、場所を変えてお酒を飲みながらリラックスした雰囲気の中で語っていただきました!お楽しみください!
◆NU/KE
児玉 意外と羅生門の話って難しいですね(笑)。
荒武 そうだね(笑)。もしかすると同じような視点で色々見てたのかもしれないね。でも例えば、渋谷のトリビュートとかあったじゃないですか。いわゆる33にとってはライバル店で。そういった部分で、別のお店にも出してたというところでなにか別の視点で見れていたところもあったんじゃない?
児玉 当時のアシュラは33以外だと、都内は東京堂やトリビュート、コネクテッド、ヘブンにも置いてましたからね。それぞれカラーは違うんですけど、どこか同じような匂いのするお店というか。
荒武 個性を出し合ってそれぞれ競争して、特徴的なお店が多くあったよね。ヘブンは特に商品とか被ってましたね(笑)。ロンドン物が多かったから。
児玉 サボタージュ、イープレイ。
荒武 そうそう!あれ、NU/KEってヘブンは卸してたっけ?
児玉 いや、ヘブンには卸してなかったですね。
荒武 そっか、アシュラとNU/KEの卸先って結構一緒だったイメージが強くて。
児玉 展示会とかを一緒にやってたからですかね。NU/KEとは、ライバル関係みたいな時期もありましたけど、途中からは何か一緒にやろうってことになって。当時アシュラはTシャツしか作ってなかったんですけど、NU/KEに色々と協力してもらってジャケットとかパンツとかフルアイテムを作るようになったんですよね。
荒武 そうだったんですね。そういえば、33原宿店オープン記念パーティーの時にアシュラとNU/KEと33と3社合同でパーティーをやったじゃないですか。あれがすごく印象的で。
児玉 33原宿店では、お店の離れにNU/KEとアシュラだけを扱う「N/A 33」という空間を作っていただいて、あれは本当に嬉しかったです。念願の自分たちだけのお店みたいな感じで。その空間の内装もアシュラとNU/KEで好きにやっていいよって(笑)。その時のパーティー用に「N/A33」のTシャツを作って、33原宿店限定で100円で発売したらパーティー当日にお客さんがすげー並んでくれて。パーティー自体も大盛況でしたよね。
荒武 そうですね。ありがたいことに箱が埋まるくらい入って。最後はカーテン開けるともう夜が明けて日が差してて、すごいいい光景でしたよね。そんな中で山田くんがもう白目になりながら踊ってて(笑)。忘れられないですよね。あれは確か2000年くらいでしたよね。あの頃と比べると時代が変わっていって、みんなアパレルからそれぞれ違う方向に進んでいってますよね。
※「N/A33」オープン記念座談会記事 : http://next33.com/e_zin/e-zin/1999/9910/a.html
◆母校shop33
児玉 先程も話しましたけど、例えば僕たちでいうなら村上さんやNU/KE、ネンドなんかと出会ったりつながったりとか、33はいろんな面白い人たちと出会う場でもありました。そういった環境をどうやって作られたんですか?
荒武 それは吉祥寺という奇跡的な場所があって。代官山とか原宿とかの都内ではなく、郊外にあったってのが大きかったと思います。
児玉 でも、僕はそれだけじゃないと思うんですよね。全てが新しくて斬新だったからだと思いますよ。
荒武 そうですかね?でも確かにMacを置こうとか、新しいものには興味がありました。
児玉 全てが早かったんですよ。90年代っていろんなものがアナログからデジタルに代わり始めた時で、その中で真っ先にそういった最先端のモノやカルチャーをドンドン取り入れていって。しかも国内外問わずだったじゃないですか。そういった部分が要因だったんじゃないかなと思います。
荒武 そうですね。やっている側としては90年代初頭が一番面白かったですね。90年代初頭って「日本の」サブカルチャーが出てきて、90年より以前は海外のサブカルチャーを輸入って感じが強いですからね。だから、87,8年くらいにRUN D.M.Cが新しい音楽を持ってきてくれて、それにファッションもついてきて。そこがやっていて面白くなった分岐点ですね。その前はいわゆる貸しレコード屋でしたから。
児玉 33に行けば、新しい情報を知れる!自分たちも何か発信できるかも!っていうような場所でしたもん。僕にとって33はやっぱり母校です、荒武校長を筆頭とした(笑)。きっと同じような感覚で思っている人も多いと思いますよ、青春の場所みたいな(笑)。
荒武 そういえば昔に知人から、「33のお客さんを持っていくために近づいてる人っていないんですか?」って聞かれたことがあったんですよ。僕としては面白い人であればお客さんを持っていかれてしまっても構わないと思っていたし、逆に33がお客さんを囲おうとしてしまったら人が寄ってこくなっちゃうし。だからそういった奪い合いみたいなことはしたくないと思って作ったんですよね。
児玉 なるほど!確かに33って村社会的な雰囲気のないピュアでフラットな場所でしたよね。その文化がすごく居心地がよくて、たくさんの人たちが集まってたように思いますね。どうしても商売やってると商売っ気が表に出てしまうことってあると思うんですけど、そういう部分を感じさせない荒武さんの人柄や33のコンセプトが僕は好きでしたね。
荒武 僕も全然考えてたわけではないんですけど、そういったことを聞かれて気がついたというか。僕たちがやっていたのは商売ではなかったのかも知れない。前回の対談でも、「どうして33はオリジナル商品を作らなかったんですか?売れるのがわかってるのに。」って質問をもらったんですよ。でも売れる売れないではなくて、それをやっても面白くないっていうのが先にきて積極的にはやらなかったんですよ。いわゆる囲ってしまえば数字とかそういった部分は見えてくるのかも知れないけど、それで終わってしまうというか、だからもっとエリアを広げていきたいってのがあったのかもしれないですね。もちろん商売っ気がゼロって言うわけではないですけど。あ、でもその中途半端さが良くなかったのか(笑)。
荒武 それと、33をやっていく上で森本さんたちとの出会いも大きかったですね。
児玉 森本さんといえば、吉祥寺の東急裏のお店なんでしたっけ?
荒武 南天?
児玉 そうそう!あそこに行くと、森本さんをはじめ、アニメのすごい人たちがたくさんいましたよね。
(※出典:https://blogs.yahoo.co.jp/vale000001/34599683.html)
荒武 そうですね。僕もあそこで神様たちといっぱい会いました(笑)。行くとちょこんと座ってるおじさんが実はすごい人達で(笑)。
児玉 僕も村上さんや荒武さんに何度か連れてってもらって。南天で飲んだ後に森本さんと荒武さんと朝まで麻雀したりして(笑)。
荒武 そんな時代もあったねー、酔狂というか(笑)。以前、村上さんと森本さんと山賀さんの家に行ったことがあって。みんなへべれけに酔っ払って、結局あの人がどうしたとかどうでもいい話をしてただけなんだけど(笑)。でもそういったハプニングが起こる地域です。
児玉 今年に入って33飲み会で吉祥寺に2回行ってるんですけど、やっぱり吉祥寺はいいですね。吉祥寺で33の皆さんと飲んでると、20代の頃に戻ったような感覚になるんですよね。荒武さんの前では自分は永遠の20代みたいな...(笑)
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最終回Vol.5はこちら。
Photographed by Kei Murata