shop33とその後の物語 第三回 森本晃司 vol.2
2018年10月28日 12:00
前回に引き続き、森本晃司さんとの対談の様子をお届け致します。前回の様子はこちら。
◆テクノロジーと進化
森本 90年代はリミックスも多く集めてたんですよ。あれっていろんな発明があるなと思ってて。十人いれば十人違う表現になるし、「あー、こうきましたか」っていう驚きを見せてくれるんですよね。それで色々聞いているうちに、これって演出にも取り入れられるなって感じたんですよね。その楽曲を使うってわけではなくて、例えば物語の作り方にしてみても、色々な角度から見るだけで切り口が変わってきて、表現が変わってくるわけじゃないですか。だからその辺りから音楽から物語を構築していくってことをやり始めて。しかも音楽って届くまでが早いじゃないですか。耳からダイレクトに入ってくるわけで、聴覚だけで世界を変えていくから。だから当時も新しい音楽を求めて毎週のようにWAVEとか行ってましたよ(笑)。
荒武 僕は大友さんをWAVEで良く見かけました(笑)。
森本 そうそう、多分その辺りの頃はAKIRAやってたころだと思うんだけど、こんなの仕入れましたよ、とかお互いよく情報交換してた(笑)。
荒武 森本さんってAKIRAではどの辺りを担当してたんですか?
森本 主にメカ系ですね。バイクとか、戦闘機とか、後はエフェクトとか。
荒武 製作期間ってどのくらいなんですか?
森本 2年くらいですね。もちろんその前段階のレイアウト描いたりとか、設定を描いたりとか入れると延3年くらいですけど。AKIRAは制作の段階で世界を獲るっていう意識でスタートしてたんですよね。だから集まったスタッフもすごかったし。
木原 実際制作しながらその実感ってありました?
森本 ありましたね。世界が変わるかもしれないって思ったし。
荒武 漫画の連載スタートが確か1982年でしたよね。ノリくんはその時何歳?
木原 まだ生まれてないですね。
森本 そっかー、まだ生まれてもいないのかー。なんか時系列おかしくないか(笑)。全然その辺りの時代を通ってないんだね。もう生まれた段階でテクノもあるわけで(笑)。でも俺たちの場合は、色んなジャンルの生まれてくる瞬間に立ち会えたんだよね。テレビだったり、ネットだったり、まさに産業革命が起こるように高速で色んなものが変わっていく瞬間を楽しみながら体験できたんだよね。
荒武 あの頃はまさにそんな感じでしたね。でも、もしかしたら今まさにその状態かもしれないし、ノリくんもこれから50年経ったらあの時は激動だったなって振り返ることがあるかもしれないよ。
木原 確かに人工知能だったり、現代も様々な分野で変化が起こっているっていうのは肌感覚でなんとなくわかるんですけど、90年代の話を聞いてると、その時ほどの熱量というか、激動っていうほど自分たちが巻き込まれるほどの何かがあるとは言えない気がするんですよね。飽和している気もするし。
森本 90年代は文化的なところの変化が大きくて見えやすかっただけで、それは方向が違うだけで今も色々な変化は起こり始めてるのかもしれないよ。例えば人間が光合成が出来るようになって、コンピューターとかとは方向の違う、別次元の精神的な革命が起こるのかもしれない(笑)。もしくは植物と喋れるようになったり。そしたら人間よりも植物に聞きたいことの方がたくさんあるから、みんな山に行って植物と話をしに行くと思うんだよね。
森本 でもそのくらい世の中は変わるっていう可能性はあるし。だから、それに近いのは意外とポケモンGOだと思うんだよね。ポケモンGOが流行ったら、みんな世界の端っこから山まで色んなところにわざわざ行ってポケモンを捕まえに行くわけじゃない。
荒武 そうですね。確かに現実と仮想現実がリンクすることで、デジタルのゲームを楽しむためにあえてアナログの徒歩で移動するっていうことが起こってるわけで。90年代には考えられなかったことが起こってますよね。
森本 そうなんですよ。例えば江戸時代の人にコンピューターを教えないといけないとするじゃない?でもどこから教えないといけないのか、それすらもわからないわけで、説明の足がかりすらわからないわけですよ。夢の世界?それも違うし。だから結局、時代が変わると根本的な概念が違うんですよ。だから想定もしていない変化ってのは起こりうるわけで。だから人間が光合成を始める未来が待ってるかもしれない(笑)。
◆AKIRA
森本 あの頃はほとんど寝てなかったよね、多分みんな平均で2時間くらいだったんじゃないかな。ほとんど飲んでるっていうのもあるんだけど(笑)。夜になったら飲みに行って、朝の9時くらいにはもう会社いて。
荒武 その頃ってまだ4℃じゃないですよね?
森本 その頃は三鷹にAKIRAを作るためだけのアキラスタジオってのを作ってそこでやってました。AKIRAっていろいろ画期的で。今でこそ、どこかのスタジオに所属している人たちでも、作品のために別のスタジオの作品を手伝ったりしますけど、当時はそういったことがなくて。それまで作品は既存のアニメーション会社の中で作るってのが通例だったんですよ。
森本 でもAKIRAは作品のためだけにスタジオを作って色々なスタジオ所属の人たちを集めて、そういう垣根を取っ払ったんですよね。まるで七人の侍みたいに(笑)。はじめはこちらから優秀な原画マンとかを指名して、その人の知り合いに面白い人いないとかって聞いて、それでどんどんいろんな会社から優秀な人達が集まってきたんですよね。だから一から作り上げたって感じ。
荒武 確かに七人の侍ですね。
森本 映画では爆心地は三鷹のスタジオを中心にしてるんですよ。ここから世界に届けるぞっていう意思表明で。これで世界を取るぞって確信犯だったんですよね。
荒武 えー!?あの爆心地の中心って三鷹だったんだ、初めて知った!三鷹在住の一ファンとしてたまらない話だわ。
森本 大友さんって漫画界ではトップに君臨してたから、そんな人とタッグを組んでアニメをやれたってのは嬉しかったね。
◆体験の重要性
荒武 このブログで取り上げたいテーマの一つでもあるんですが、1990年代と2000年以降って明確に違うわけじゃないですか。僕なんかはやっぱり1995年が一つの転換期なんですよね。サリン事件とか阪神淡路大震災があったり。そしてwindows95が出て。windows95の出現によって、95年以降の出来事ってほとんどがデジタル化されてるじゃないですか。でも95年以前の事って、自分で語らないとほとんどアーカイブされてないんですよね。
荒武 だからこういった形でshop33に関わってくれた方々の話ってのを残したいと思ってるんですよ。ただ、残すこと自体面白いことなのか、はたまた無粋なことなのかはっきりわからないんですが、それでも残していくっていうことをやっていきたいなと思っていて。そうすることで、僕はあの時あの事に対してこう感じてたけど、森本さんはこう思ってたとか、色々な違いも浮き彫りになって面白いんじゃないかと思ってるんですよ。
森本 確かに1990年代と2000年以降とでは大きく違いますよね。例えば1960年代の学生運動だったり、あの時代のみんなが自由を求めて動いてる様ってのは我々は体験出来なかったわけですけど、90年代ってそれに似たような感じがあったと思うんですよ。なにかが変わるっていうか、実際にいろんなことが変わっていってたし。
森本 例えば1999年のノストラダムスの大予言って、地球規模でみんなが信じてたじゃないですか?でも今ってそれくらい真剣になれるものがないんですよね。次は何十年後になにかが起こるぞって言ってるやつがいないんですよね。だから世界共通で信じる何かがなくなっちゃったんですよ。お宝というか(笑)。
荒武 大きな物語みたいなものがなくなっちゃいましたよね。
森本 そうそう。オリンピックとか、世界規模のイベントは確かにあるけど、ノストラダムスの大予言ってそこじゃないじゃない(笑)?だからみんな遠慮しすぎてると思うんですよ。表現にしたって。何でそんなに読者に媚びないといけないの?謝らないといけないの?って。それってものづくりとしておかしいと思うんですよ。
森本 例えば今暖炉の音をBGMにすることにハマってて。スタジオのリビングに、その音に合わせて風にゆらゆら揺れるものを作ってみたいなとか考えてるんですよ。ただ、本当は線香花火とか、小さい室内用の打ち上げ花火とかも置きたいんですよ(笑)。
荒武 今ならホログラムとかで作れそうですよね。
森本 いや、本物で(笑)。大きいものが出来るなら頑張れば逆に小さいものも作れるんじゃないかと思うんだけど(笑)。
荒武 本物(笑)?まあ、でも火事とか色々な問題が出てきますよね。
森本 そうなんですよ。だけどもちろんそういった部分は理解してるんだけど、危険なものってのも同時にあったほうがいいわけですよ。例えば子供が火を触ったら熱いっていうことを体験して危険であることを理解するわけで。体験の部分が一番大切だと思うんですよ。最近は安全が叫ばれすぎててそういったことが少なくなりすぎてて。
荒武 痛い目にあうって大切ですよね。でも死なない程度ってのが重要ですけど(笑)。
森本 そうだね。体験からわかることってすごい多いですからね。花火の話は極端かもしれないけど、今は何かすると周りが叩く風潮が多すぎるよね。
◆Shop33
木原 ちょっと話ずれますけど、今のカウンターカルチャーってどこにいってると思います?
森本 Youtubeだったり、個人で配信するものに移ってるよね。やっぱり見ている人にダイレクトに届くから一番早いんだよね。
荒武 森本さんはYoutubeとか見ます?
森本 見ますよ。でも古い映像が多いですけど。例えば昔の戦争の映像とか。すごいリアルだなーって。もちろん本物だからリアルなんだけど(笑)。でもどうしても見方がアニメーター目線になっちゃうけどね。このカットシーン作るのに何枚必要なんだろうとか(笑)。リアルな映像とかを見てると、見落としてるものっていっぱいあって。そこをもうちょっとちゃんとやれば面白いのになって思うことが沢山あって、そういう意味でもよく見てますね。
森本 Youtubeとか、個人で配信しているものって、さっき言った近所感があると思うんですよ。それで、その近所から発信してるっていう代表が当時のShop33だったわけですよ。要は会いたかったら吉祥寺に来いっていうか、吉祥寺のShop33に来ないと売ってないというか。その辺がかっこよかったよね。
(出典:https://blue.ap.teacup.com/musimusi/137.html)
荒武 Shop33はやっぱり森本さんとか大友さんとかの影響を受け続けてるお店なんですよ。例えば自分の中では、AKIRAの春木屋みたいな基地のようなイメージがあって、あんあお店が出来たらいいなーと思って作ったし。
森本 俺の中では時計じかけのオレンジのバーみたいなイメージかと思ってた(笑)。
木原 でも荒武さんが引き継ぐ前からShop33ってあったわけじゃないですか?そのイメージの反映ってどの辺りからなんですか?
荒武 そうだね、はじめはアルバイトで入ったから。自分がお客として行ってたり、働きはじめのときは普通の貸しレコード屋だったけど、自分が引き継ぐとなった時にそういったイメージを入れていって内装も変えていったって感じかな。
森本 今でいうとヴィレッジヴァンガードとか似てるよね(笑)。面白いものってつながってるじゃん、一つじゃないじゃんって感じが。これもかっこいいと思ってるんだったらこれも好きなんでしょって。
荒武 そうですね。好きなものって方向性が似てくるから。でもファッションと音楽がくっついた形をやったのはShop33だったと思います。でも、森本さんがShop33をキューブリックとか、そんなイメージを持っていてくれたなんて聞いたこともなかったんですごい嬉しいです。こうやって褒めてもらえて、それだけでもやってきた価値があるなと思います(笑)。
森本 まあ本人を目の前にしてなかなか褒めないでしょ(笑)。
木原 森本さんが33とやった仕事ってどんな物があるんですか?
森本 吉Tと、そのあと何枚か一緒にTシャツ作ったかな。その時に値段設定の話になって、俺が結構安めの値段で設定しようとしたら、「ダメです」って速攻で却下された(笑)。意外と高級志向なんだって(笑)。でも、それまでにスタジオ4℃でもTシャツ作ったことがあったんだけど、33だと変な事やらせてくれるっていうか、それを理解してくれてたからそれが良かったんだよね。
荒武 最初に森本さんが吉Tの版下持ってきてくれた時に、めちゃくちゃかっこよかったんですけど、同時にヤバイなと思って。今どきの、良い意味でのヤバイでもあったんですけど、それとは別の、悪い意味でもヤバイとも思って。でも33に来るお客さんは絶対に理解してくれると思ったし、これはやらないといけないと思って作ったんですよ。価格設定に関しては森本さんのリクエストは当時かかったコスト的に難しかった(苦笑)。
森本 吉Tって、童夢でエレベーターの中でカッターナイフで切るシーンが出てくるんだけど、そこからインスピレーションを得て舌を切る「吉T」を作ったんだよね(笑)。
荒武 えっ、初めて知った(笑)!なるほどねー、長い間知らなかった(笑)。
森本 でもあれは結構売れましたよね。
荒武 あれは売れましたねー。何回刷り直したか記憶に無いくらい(笑)。
森本 あの当時クラブとかに行くとみんな着てて、あれは結構嬉しかった(笑)。
◆街づくり
森本 そういえば、その売れたうちの1枚をウチの娘の小学校にやってきた転校生が着てきて。でも「なんてTシャツ着てるんだ」って先生に怒られちゃったみたいで。
荒武 それって娘さんが何年生くらいの話ですか?
森本 だいたい3,4年生位だったかな。アメリカから来た子だったから特に抵抗なく着てたみたいだったんだけど、まあ過激なデザインだったから(笑)。それで娘は「あのTシャツお父さんのだ」ってわかったみたいなんだけど、言えなかったんだって(笑)。でも俺は、「その子センスあると思うよ」って褒めたんだけどさ(笑)。
木原 でも吉祥寺で作った商品をアメリカの子が買って、更にそれを日本の製作者の娘のいる小学校に着てくるって奇跡的ですよね。海外への販売ってその頃は頻繁にやってたんですか?
荒武 その頃はよく海外にも販売してたね。
森本 だから33は吉祥寺のあんなところって言ったら失礼だけど(笑)、あそこから世界に発信してるってところがすごい近いなと思って共感してたんだよね。自分たちの場所から発信できなかったら、どこに憧れを持っててもしょうがないんだよね。吉祥寺に住んでるんだったら吉祥寺を面白くすればいいじゃんって。議員にもならないし、政治にもかかわらないけど、ある意味そうやって街づくりには参加できるわけで。だからここのスタジオもそういうメンバーを集めてまた新しく何か作っていこうよっていうことで始めたんだよね。
森本 まさに90年代の吉祥寺もそういう感じでしたよね。脱線を楽しむというってことじゃないけど、そういうメンバーで面白いことをやっていこうよって言って。
荒武 そうそう。HUBでイベントやったりねー。人が多すぎて大友さんが入れなくてね(笑)。
森本 あのクラブじゃなくて、飲食店でやるってのがいいなと思って。あと、サトウの肉屋の地下にバーがあったじゃない。中が中二階みたいなになってて。あそこは音がすごい気持ちよくて、寝るのにちょうどよかったんだよね(笑)。いつも朝になると「森本さん、朝です」って起こされてて(笑)。
荒武 ありましたね!あれを企業とか資本が大きいところがやったんじゃなくて、個人がこういうところが好きだからっていう理由で採算度外視でやってたってのがお客さん的に楽しかったよね。だから続けていくのが大変なんだけど(笑)。でも本当に昔は好きだからやってるっていうお店が多かったですよね。だから最近はそういう文化って薄れてきてますよね。
森本 そういう場所がなくなってきたのは、きっといろんなことが暴かれすぎたからだと思うよ。秘密がどんどんなくなってしまった。今はすぐに写真にとってネットにあげたりとか、世界の隅々まで撮られてない場所なんてないんじゃないかってくらい網羅されてるじゃない。残された秘境はどこにあるんだろう(笑)?そういう秘密というか、ミラクルがどんどんなくなっていってるからそういう文化って薄くなってきてるんだよね。やっぱりそこには夢がないと。
荒武 そうなると、やっぱり月に行くしかないんじゃないんですか(笑)?
森本 行けるんだったら行ってみたいけど(笑)。
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Photographed by Kei Murata
最終回Vol.3はこちら。