shop33とその後の物語 第四回 SOVIETS vol.3
2019年1月13日 12:00
前回に引き続き、今回もSOVIETSとの対談の様子をお届け致します。今回が最終回となります。
どんな話が飛び出すか、是非お楽しみください!
◆90年代と現在のカルチャー
木原 今まで出てもらった人たち皆さんに聞いてる話がありまして。それぞれ年をとったりだったり、自分自身の地位が変わったり、はたまた時代背景的な環境が変わったり、いろいろな要因があるとは思うんですけど、90年代と現在って、時代が違うだけでは片付けられない何か大きな違いがあると思ってるんですよ。今回SOVIETSさんは名前は変わったにしろShop33時代から今まで継続的に商品を卸していただいているブランドとしてこの企画で初めて取り上げさせていただく方々なので、その方々がShop33の時代と今で、カルチャーやものづくりにおける違いってどういったところにあると思いますか?
広岡 やっぱり90年代って一種異様な時代だったと思うんですよ。やらしい話、景気が悪くなって2000年代以降ってまとまっていっちゃったと思うんですよ。冒険しなくなったというか。
木原 それって日本全体としてってことですか?
広岡 自分の中ではそう思います。でもそこまできちんと考えたことがないので、自分が年をとったからなのかわからないんですが、段々まとまっていってスマートな感じになっちゃったと思うんですよね。だって、90年代ってぐちゃぐちゃなイメージがあるじゃないですか。多分90年代は、80年代までのことを整理する術がないところにインターネットとかの情報だけがドカッと来たもんだから、誰も整理できなくてもうぐっちゃぐちゃなものが隣り合うっていう独特な時代だったんですよね。それが段々とスマートになっていって。綺麗な棲み分けというか、昔は無理やり一緒に住んでたものが、今は好きな者同士だけが集まるっていう感じになったと思うんですよ。良い面と悪い面があると思うんですけど。今がつまんないかというとそういう訳でもないんですけどね。
内沢 広岡さんは、90年代と今ってデザインの方向性は変えてるの?例えばSOVIET(ソビエト)とSOVIETS(ソビエツ)の違いでもいいし。
広岡 変わってないと思いますけどね。ただ、影響は受けやすいんで。だって草野さんと会う前と後で変わってますもん。そもそもデザインに興味がある人間でもなかったんで。
荒武 学校はデザイン系の学校じゃないの?
広岡 デザイン系の学校には行ったんですけど、そもそも高校卒業してから一年くらい旅行とかばっかりで。そんな時に幼馴染がデザインの専門学校に行ってて、「お前むいてるから来いよ」って言われて、俺ってデザインがむいてるのかって思って行ったんですよね。それで卒業してから、とあるデザイナーのアシスタントに入ったんですけど、そこでぼっこぼこにやられて。うちらの上の世代って怖かったですから(笑)。ミスったから坊主にさせられたり(笑)。でも、自分にとってはそれが良かったんですよ。もちろん人によるとは思うんですけど、基本的に怠け者なんで、やらなきゃ殺されるくらいの感じでこられたからやれたと思うんですよ。そこで通用したことが俺はデザインでやっていけるっていう自信になったんですよ。もちろん、あれで潰れていく人もいるから全然いいことではないんですけどね。
荒武 草野さんと歳は?
広岡 一緒くらいですね。でも本でよく見てたNendoのデザインはほとんど藤本さんのネタだったんですよね。
Die 当時ってどっちが作ってるのかわかんなかったですよね。今だったらわかりますけど。
広岡 すごい抽象的なんですけど、藤本さんのデザインは「デザインって楽しい」って感じがするんですよ。逆に、草野さんのデザインは「デザインって苦しい」って思うんですよ。なんか息を止めて作ってるような感じで。もちろん、どちらもかっこいいんですけど、作品から感じるものがぜんぜん違うんですよね。はじめは藤本さんの作ってるものがかっこいいと思ってたんですけど、草野さんに会って作業をしているところを見たら、そっちはそっちでかっこよくて。要するにNendoのファンってことですよ。あれ?全然90年代と今の話じゃないですね(笑)。
一同 (笑)。
広岡 基本的にNendoと会う前からゲームのドット絵とかその辺りの絵が好きだったんですよ。その雰囲気の絵が好きだったのに、ゲーム機の性能が上がっていくにつれて俺がかっこいいと思ったゲームの格好良さじゃない格好良さにゲームが変わっていっちゃったんですよね。それって普通の絵の格好良さじゃんとか、映画の格好良さじゃんみたいな。ゲームの格好良さがいいのに、俺の思ってたゲームの格好良さじゃないところばっかり伸びていって、それをどうにか戻したいと思ってて。それでNendoにはすごい近いものを感じたんですよ。ゲームの格好良さってこういうことだって。それはずっとあったから、他でやる仕事でもそこは意識してますね。だから格好いいものって言われたら、俺の思っているゲームの格好良さを持ってこようと思ってます。なんかこの話長いね(笑)。
内沢 一言でまとめると、広岡さんはゲームが好きってことかな(笑)。
◆地方と東京
淳平 僕は90年代は大学生だったんですよ。それと、音楽とかゲームとかっていうカルチャーは通ってなくって、スケートだったんですよね。だから90年代の制作側の空気ってわからなくて、クラブだったり街の感じだったりとかの現場の空気しかわからないんですけど…
荒武 その時ってクラブはどこに行ってました?
淳平 僕はその時は学校が福岡だったんで福岡のクラブに行ってました。
荒武 デザイン系の学校だったんですか?
淳平 大学のデザイン学科に通ってました。
Die 僕も大学で福岡に行ったんですよ。それで同じところに来たんですよ、淳平も(笑)。同じ大学の同じ学科の、最後は同じ教授についたっていう(笑)。
荒武 それでその後に東京に来たんですか?
淳平 そうです。だから僕も東京に出てきたのが2000年くらいなんですよ。
荒武 じゃあ90年代ってのは二人とも福岡で過ごしてたんだね。
内沢 でもDieちゃんは90年代にテクノとかの情報は集めてたんでしょ?
Die そうですね。雑誌でテクノの情報集めたり、あとはレコード集めてDJもやってたしライブもやってたりしてましたね。その時に雑誌でNendoをみてやばいと思って、自分でもデザインやってたんでこれはMacを始めないといけないと思って。大学でもMacの授業はあったんですけど、イラストレーターのマニュアルを見ながらやってみようっていう感じだったんで、友達の家で教えてもらって自分で勉強してフライヤー作ったりしてましたね。それでShop33さんを知ったりして。だから雑誌でしたね、90年代のカルチャーを知ったのは。
荒武 雑誌ってなに読んでました?
Die 宝島だったり、STUDIO VOICEとか、あとはQuickJapanですね。その辺は地方民のバイブルですからね(笑)。
荒武 すごい長い付き合いなのにやっとわかった、ルーツが(笑)。
Die だからShop33さんに卸したいと思って、上京した時にTシャツ作って持っていったんですよ。
荒武 あれはじゃあ2000年位だったんだ。
Die そうですね。でもその前、98年くらいにCDを作って持っていったことがあるんですよ。
荒武 それってDieTRAXの『8bit strikes back』?
Die いや、全日本レコードの『トライフォースCD』ですね。
荒武 あー、『トライフォースCD』あったね!
Die あれが最初です。福岡でバイトしていたレコード屋がレーベルを持っていたんですが、そこでCDを作ったときに、shop33に卸したいって言って連絡して卸してもらったんですよね。
荒武 あー、『トライフォースCD』ってDieさんだったんだー。あの頃って色んな人が色々やってたから、誰が誰かわからない状態だった(笑)。
Die その後上京して、DieTRAXの『8bit strikes back』やTシャツを作ってShop33さんに色々卸したり、商品を買ったりさせてもらってました。
荒武 いやー、本当にありがたいですね。お客様から仕入れ先までやっていただいて(笑)。でも当時って多かったんですよ、そういう人って。お客様だったのが商品作り始めてメーカーになったりとか。
木原 荒武さんは皆さんと初めて会ったときは覚えてるんですか?
Die そもそも荒武さんってお店にあんまりいなかったですよね?
荒武 そうですね、僕は近くの喫茶店で新聞読んでサボってました(笑)。皆さんとの初見っていつだったかなー。なんだかあの頃ってわからないくらい色んな人と会ってたからはっきりしないですよね(笑)。
内沢 当時はクラブだったり、お店だったり、友達の友達がーとか、どこで会ったのかわからない感じでしたよね。
◆インターネットの影響と変わらないこと
木原 内沢さんは90年代との違いはどう感じますか?
内沢 広岡さんが言ってたことと近いかなー。90年代は、いろんな遊びがあったり、ファッションとか音楽とか色々なものが複雑に絡み合ってた気がしていて、それが本当に面白くて。それと、当時はネットがなかったから自分の足で情報をみつけるんですよね。お店行ったりとか、本屋行ったりとか。今はネットで全部見つけることができちゃう。だから今は感動体験みたいなものが薄れている気がします。でも今の若い子はそれが当たり前なんだよね。僕みたいなおっさんは足で稼げよって思っちゃう(笑)。
広岡 情報に価値こいちゃうんですよねー(笑)。
荒武 村上隆さんが提唱してたスーパーフラットってあったじゃないですか?今は情報にすぐアクセスできて、まさにすべてが同一線上に並んでスーパーフラットな感じになってきてますよね。それってやっぱりネットの出現ですよね。
内沢 そうかもしれないです。また、今の話を聞いていて思ったのですが、ネットで全部情報が手に入るっていうフラットさもあると思うんですけど、性別とか国とかそういった部分も均一化されている気がしてて、今女性と男性の違いもなくなっているような感じもしているんです。最近ジェンダー問題がよく取り上げられてますけど、良い悪いは関係なく、すべてがフラットになってきている気がしてますね。
広岡 ネットだと簡単に答えにアクセスできちゃいますけど、90年代は自分で探して情報を得ていたんで、全然正確じゃなくって勘違いばっかりだったんですよ。みんな勘違いしてるから、集まってなにかを作っても、その勘違いが絡み合ってわけのわからないものが出来上がったりしてカオスな状態が生まれてたのが、今ってほとんどの人が一つの答えにスッとたどり着いちゃうんですよね。あと、スマホもあるから待ち合わせのドラマチックなドキドキ感もなくなっちゃってきてますもんね。
木原 内沢さんがおっしゃってたような話で、以前森本さんがネットゲームをやってた時に、アイテムくれたり先導してくれたり、すごい頼りになる人がいたらしいんですよ。もちろんネットゲームなんで見ず知らずの人なんですけど。それでいつも頼りにしてたら、急にチャットで「これから幼稚園あるんで抜けるね」みたいなことを言われたらしくて、もう幼稚園生でも世界をとれる時代が来たんだなって思ったらしくて(笑)。
内沢 ネット上は年齢も性別も関係ないですからね(笑)。
Die まさにスーパーフラットですよね(笑)。それこそ当時はSOVIET(ソビエト)もいるかいないかわからなかったわけですし(笑)。
内沢 でもそれによってものづくりが変わったかっていうと、僕自身は変わってないですね。変えてないというか。
Die 僕も変わってないですね。
広岡 僕も変わってないかな。でも、それにしてもDieちゃんは変わってなさすぎだよね(笑)。俺の知ってる中で最もぶれないもんね(笑)。
Die 未だにKetchupartsでもShop33さんに卸してますからね(笑)。いないですよね、当時からずっとやってる人って?
荒武 そうですねー、みんな辞めていっちゃって。Ketchupartsさんだけですよ。うちが細い線で首がつながったのはKetchupartsさんのおかげなんですよ。ありがとうございます。
Die そう言ってもらえるとやっててよかったなと思いますね。恩返しできればと思ってますから。
内沢 恩返しはSOVIETS(ソビエツ)も一緒ですね。SOVIET(ソビエト)時代に荒武さんに良くしてもらったんで、SOVIETSのときも是非next33でお願いしましょうって話をみんなでしてたので。亀の恩返し的な、荒武さんを龍宮城に連れていきたいなって(笑)。
荒武 二回目の龍宮城はきついな(笑)。
淳平 またコラボTシャツとか作りたいですね。
※ 以前発売された33-SOVIETコラボTのシャツ
内沢 そうだね、前にSOVIETで一度作ったしやりたいですね。それとまたトークショーやイベントなどがあればご協力させていただきたいです。
荒武 ぜひぜひ、こちらこそよろしくお願いします!
◆その後の物語
木原 SOVIETSとして今後の展開ってどんな感じですか?
広岡 そうですねー、淳平くんがやれって言ったらやる感じで(笑)。でもSOVIETSが面白いのは、淳平くんのおかげがでかいと思うんですよね。
淳平 僕が一番年下だし、SOVIET(ソビエト)のときは、それぞれ皆さん活躍されている人だったんで引っ張られる立場だったんですよ。でも今回のSOVIETS(ソビエツ)は僕がやろうって言わないとみんなやらないので(笑)、僕が定期的に商品を出せるように頑張ってますね。
内沢 そうそう。誰かがお尻を叩かないとやらないんですよね。だから今回定期的に出せてるのは淳平くんのおかげだと思います。
広岡 でもそれだけじゃなくて、淳平くん以外の3人だけでやってたら、下手したらすぐ飽きてる可能性もあるんですよ、3人ともこれまで見てきた景色がかなり近いので(笑)。でも淳平くんのテイストが面白くて、それに刺激されていろんなことをやってみようって思うんですよ。だから「淳平“さん”」についていこうかなって(笑)。
内沢 そう。だから今後のSOVIETSは一番の年下の淳平くんに期待してくださいってことで(笑)。
淳平 継続的にずっとやりたいですね。定期的に商品を出すってのが一番難しいので。
内沢 そうだね、定期的にやるってのが一番難しいからね。
SOVIETS 2019年もSOVIETSをよろしくお願いします。
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今回のインタビューは広岡さんの事務所にお邪魔して収録させていただきました。
いろいろな遊び道具に囲まれていて、「楽しむこと」「表現すること」が同一線上にあるSOVIETSの源泉を垣間見ることができた気がします。SOVIET(ソビエト)時代から長いお付き合いをさせていただいておりますが、改めて全力で好きなものを楽しみ続けることの大切さを教えていただいたインタビューとなりました。
また、本企画としては初めて現在進行系のブランドとして登場していただき、どんな話が飛び出すのか我々もとても楽しみにしておりました。バックボーンや仕事に対するスタンス、そして歴史をこういった形でアーカイブすることが出来てとても貴重な機会となりました。時代も変わり、情報がインターネットに集約され様々なことが効率化されるなか、今も昔も変わらず重要なことは「皆仲良く」なんじゃないかと思います(笑)。
もっとお伺いしたいお話もたくさんありましたが、それは今後の展開にご期待下さい!
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Photographed by Kei Murata
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第五回以降も着々と準備中です。更新予定はSNS等でお知らせいたしますので、ご期待下さい!