Shop33とその後の物語 第五回 桂・高向 Vol.1
2019年3月11日 12:00
荒武による今回の出演者のご紹介、Vol.0はこちらより御覧ください!
荒武 今回はよろしくお願いします。お久しぶりですね。
桂・高向 よろしくお願いします。
桂 久しぶりですね。最近体調はどうなんですか?
荒武 だいぶ良くなってきましたよ。またみんなでイギリス行こうよ(笑)。
高向 じゃあEASTERN BLOC RECORDSの地下で待ち合わせしましょうか。前もこの3人で待ち合わせしたんですよ。覚えてないと思うけど(笑)。
桂 なんとなく!EASTERN BLOC RECORDSと言えば、これ後で出そうと思ってたんだけど…
荒武 おー、懐かしー。
高向 これ、マンチェスターの人でも持ってないね(笑)。
桂 これは引越しのときにロンドンから持ってきたの。Tracksのやつとかは捨てちゃったけど。家宝。
高向 このときは2区画つなげて、でかいフロアで営業してたんだよね。
桂 あんたたちやたら儲けてんねって感じだったよね(笑)。
◆イギリスのクラブ
荒武 ベルリンとかフランクフルトも行ったよね?
桂 行ったねー。
荒武 確かSven Vathとかその辺りの人たちと一緒に踊りに行ったときだったよね。でも桂は、基本的にはそういうダンスミュージック界隈には関わりたくないみたいなスタンスだった(笑)。Haçiendaも一緒に行ったっけ?
桂 Haçiendaは行ったことはあるけど、荒武さんと一緒だったかどうかは覚えてない(笑)。
荒武 でも一人で行くわけ無いじゃん。
桂 まあそうですけど…
荒武 当時Haçiendaとか、いろいろ行きたいレイブがたくさんあったのに、ことごとく桂が「私は全く興味がないし、行く気は一ミリもないんで、荒武さん一人で行けばいいじゃん」って言われちゃって。そんなハードコアなレイブに英語が全く話せないのに一人で行けるわけ無いじゃん(笑)。
桂 そうだったんだ、初耳だなー(笑)。
高向 どうして行きたくなかったの?
桂 全然覚えてない。でも行きなくなかったのは地方の野外レイブとかじゃないかな?
高向 ロンドンではTurnmillsとかよく行ってたじゃん。
桂 そうそう、当時はゲイクラブによく行ってたよ。楽しかったな。
高向 そこで「ジャンプして空中に5秒浮いてたのよ」って当時誇らしげに語ってたよね(笑)。
桂 浮いてたんだ?全然覚えてないんだけど(笑)。でも90年位から留学してたロンドンで遊びだしたから、そのくらいの時期だったかな。
荒武 Tradeもよく行ってなかった?
桂 だからTurnmillsの土曜日がTradeなんだよ。あまりにも昔過ぎてはっきりと覚えてないんだけど、はじめはShepherd's BushでAttitudeっていう名前のイベントがあったんだよね。たしか違法のクラブで、そのうち警察が手入れに入ったりして続けられなくなっちゃって、その後にオーガナイザーがTurnmillsに場所を移してTradeと名前を変えてやったんじゃなかったかな。
荒武 俺はその辺りのゲイクラブは怖くて行けなかった(笑)。でもロンドンとマンチェスターっていうと、東京と地方の違いみたいな感じで、ロンドンで遊んでるような人からしたら、Haçiendaとかマンチェスターのクラブなんかは行く気にならないんじゃない?
桂 いや、それはなかったよ。HaçiendaはTurnmillsが流行ってるときには閉店というか、ハコ自体はあったかもしれないけど、もう盛り上がってる感じじゃなかったから。だって本当にHaçiendaが流行ってた頃はアシッドハウスが全盛のころだし、それこそ80年代後半だよ。だから私が遊ぶようになった頃には流行が変わってたから、Haçiendaで遊ぶっていうような認識はなかったかな。マンチェスター自体遠いし。
荒武 そっかそっか。Haçiendaって、最初はJoy DivisionとかNew Orderから始まって、その後にシカゴハウス、アシッドハウスにつながっていって、それでマンチェスター・ムーブメントが起こって。それでNewsweekに取り上げられたのが89年くらいだったけ?だからそのくらいの時期が一番盛り上がってたんだね。だからさっきHaçienda行こうって話したのもそのくらいの時期だったのかもね。あの頃のマンチェスターってバギーパンツ履いた特殊な人達が沢山いたんだよね(笑)。その辺りってロンドンではどうだったの?
桂 いたいた。その時期はロンドンに着いたくらいであんまり遊んではいなかったけど、Happy MondaysとかInspiral Carpetsとかバンドが全国的にヒットしてて、Madchesterって言葉があったほど流行ってた。アシッドハウスはもう少し前、88年ごろが全盛だったんじゃないかな、HeavenにSpectrumってクラブがあって、みんなピースマークのTシャツ着て。
高向 セカンド・サマー・オブ・ラブが起こって、屋外でやるイリーガルなレイブのムーブメントが広がってましたからね。それでここから33に繋がる話なんですけど、89年あたりから徐々にSoul 2 Soulとかが出てきたわけじゃないですか。それでキングス・クロス駅のところでSoul 2 Soulのサウンドシステムがイベントをやりだすんですよね。
荒武 あー、じゃあそのくらいの時期にトッテナムコートロードにSoul 2 Soulのお店が出来たんだ。
高向 ほぼ同じくらいの時期ですね。
◆日本のクラブ
桂 80年代の古いiDとかまだ家にあるんだけど、レアグルーブの特集とかしててすごい好きだった。
高向 それってロンドンにKiss FMが出来てからだよね。そこでNorman Jayとかが出てくることによってレアグルーブのムーブメントが起きたよね。でもそもそも、80年代前半にジャズファンクのムーブメントがあって、ShakatakとかLevel42とか。
桂 なつかしー(笑)!
高向 それでレアグルーブの流れができたと思うんですけど、レアグルーブも33でロンドンから買い付けしてたんですよね。
荒武 そうそう。Eatsern Bloc Recordsのマイクにチョイスしてもらって、とりあえず一番尖ってるのを出してくれってお願いしてた(笑)。桂にも仕入れたやつを聞かせてたんだけど、「うーん、いいんじゃない?」って妙に上から目線で偉そうだったよね(笑)。
桂 なんか常に偉そうなんだよね(笑)。この前も知らない人に「ハロー、ボス」とか言われちゃって、自分的には自然なんだけどね。やっぱりボッシーなんだなって(笑)。
荒武 それはロンドンに住んでるときから言われてたよね。まあ、桂はボスだから(笑)。
桂 すみません、きっと死ぬまで治りません(笑)。まあとにかく、レアグルーブは東京でも聴いてて大好きだったんだよね。
荒武 そのときに行ってたクラブって?
桂 西麻布のトロスとか、ピカソ、その後にたまにレッドシューズに流れるみたいな感じで。最後は天下一のラーメンでしめ。
高向 その辺りはまだ俺も福岡にいた辺りですね。
桂 あとは芝浦インクスティックもよく行ったね。
荒武 あれ、そこで高向くんもDJしてたよね?
高向 それは芝浦じゃないんですよ。どこだったかなー、晴海じゃないけどそっちの方にできたところですね。
荒武 芝浦じゃなかったけ?高向くんがDJしながら踊ってて、「高向って踊るんだ」と思って(笑)。
高向 失礼ですよ(笑)。俺はTony HumphriesのときにGOLDで8時間踊ってた男ですからね。
桂 GOLDって私知らないんだよね。イギリスに行ったのが89年の3月だから。
高向 まさにすれ違いだ。俺は89年の4月に東京に出てきたから。その後90年の年末にロンドンに一人でいって、ブリストルでsoul 2 soulの年越しイベントに行ったんですよ。
荒武 そうそう。その話を聞いて、俺も触発されてこれは俺も行かないと行けないっていう感じになって、弘石くんと意を決して行ったんだよね。お金も全く無かったんで銀行のキャッシングローンでお金借りて、それを全部仕入れの軍資金にするっていう、今考えるとかなり無謀なことをしてたんだよね(笑)。でもあの当時はお金持ってる人はたくさんいたからなんとかなるわっていう感じはあったんだよね。
桂 実は、33のことは高校生の時からレコードレンタルで行ってたから、荒武さんのことは高校生のころから知ってたの。学生にはレコードって高かったじゃない?2500円くらいして。しかも輸入盤って普通の貸しレコード屋になかったんだよね。The SmithとかOMDとか。でも33にいったらあったんだよね。だから結構通ってて。ペンギンカフェも大好きだったし。
荒武 よくペンギン・カフェは入れたね。だって、ペンギン・カフェのオーナーは、大学生なんかでチャラチャラした奴らには絶対に入ってほしくないみたいな感じでお店やってたし(笑)。俺も初めて行った時に大学生だったから、そんな感じが出てたからめちゃくちゃ怖かったもん(笑)。
桂 まあ入るときに緊張はしましたよね。
荒武 だってあの頃ってハウスマヌカンって言われてたブティックの店員や、ギャルソンとかメンズ・ビギとか着てるような、いわゆるマガジンハウス系の人達が行くところだったから。ファインとかメンズ・ノンノとかそういう人々は絶対来るなよってお店だったからね。
桂 そう言っても、ファインとかメンノンの人たちって渋谷で遊んでなかった?渋谷に行くとそういう人たちがいて、全然違うなーと思ってたもん(笑)。
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Photographed by Kei Murata
Location カイ燗
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