Shop33とその後の物語 第五回 桂・高向 Vol.3
2019年3月26日 12:00
桂さん、高向さんとの対談の様子をお届け致します!今回で最終回となります。Vol.2はこちらより御覧ください。
◆The Designers Republic
荒武 あれ覚えてる?二人で初めてThe Designers Republicの事務所に一緒に行った時に俺がゲロ吐いたの。
桂 あれが最初だっけ?
荒武 そうそう。食中毒で。
桂 あれすごいゲロでしたよね(笑)。もうなんかギャーってなって、噴いてる噴いてるみたいな(笑)。
荒武 (笑)。多分O-157とかだと思うんだよね。多分サンドイッチで。
桂 もう噴水みたいになってて(笑)。あのゲロ事件はよく覚えてる。
荒武 もうイアンとかみんなもびっくりしてたよね。俺はトイレに行ってたから後の状態を知らないんだけど(笑)。
桂 だから私がとりあえずこれはここで話をまとめてまとめてみたいな感じだったんですよ(笑)。ゲロ吐いちゃっててしょうがないから、みたいな感じで。
高向 イアン・アンダーソンをあたふたさせる男(笑)。
荒武 とにかく、おしゃれなデザイン事務所じゃない?そこにバーっとやっちゃって(笑)。オフィスでミーティング中で、真面目にジャパニーズカルチャーがどうとか話をしてる時に、我慢出来なくて(笑)。
桂 あの日はシェフィールドに泊まったんでしたっけ?
荒武 彼らが紹介してくれたシェフィールドのホテルに泊まった。でもそこのホテルで「The Designers Republicとの取引はもうないだろうな」って思ったね。だって撒き散らしたわけだからね、彼らの美意識に(笑)。
高向 もうジャパニーズ・スプラッターって感じですね(笑)。
荒武 モンティーパイソン顔負け(笑)。
桂 俺、気持ち悪いって言ってから、ぶわーってなるまで1秒もなくて、もう本当にびっくりしましたよ。暴力的なゲロだったよね(笑)。でもその後、夜はみんなでレストランに行かなかったっけ?
荒武 そうそう。それで会食中にデイヴィッドから「日本から来たんだったら今度ボアダムスと花電車を買ってきてくれ」って言われて、それはそれで繋がったんだけど、ゲロ撒き散らしちゃったから、それもこれもなしかなとは心の中では思ってたよね。
桂 でも全然気にしてなかったでしょ?
荒武 そうだね、全然気にしてなかったね。
桂 イギリス人の男性ってそんな感じ。イージーゴーイングで日本人ほど細かくない人が多い。
荒武 あんまりゲロに対して嫌な気持ちがないのかな。
桂 いや、ゲロは皆嫌ですよ(笑)。でもお客さんだと思ってたからじゃない?
高向 まあ、彼らは日本文化だったり書体だったり、日本のいろいろなものに興味があったから、そういうのもあったんじゃないですか。
荒武 そうだね。当時の彼らは日本人の知り合いが全くいなくて日本語もできない状態だったから、コカ・コーラを想像でワス・コーラって書いたりしていて。それで俺たち日本人が来たから、これはどういう意味なんだっていろいろ聞かれたよね。それでGraphic Manipulatorとかのインディーズブランドの本みたいなのも見せたんだよね。
◆The Designers Republicのその後
高向 それで、僕が2度目にThe Designers Republicの事務所に行ったときは、さっきも言ったように駅近くのワークステーションというビル内に事務所が移ってて。
荒武 そうそう。そっちも桂はそっちも一緒に行ったよね。
桂 行った行った。
荒武 そしたら「彼ら稼いでるわね。」って言ってて(笑)。
高向 一階にカフェっていうかちょっとしたレストランがあって、オフィス自体は上の方で。あの頃はニック、デイヴィッド、マット、イアンの4人を中心にやってて。
荒武 マットも今はすごい活躍してるんでしょ?
高向 一時ほど表立ってやってるわけではないんですけど、先端技術に関連したクリエイティヴ関連とかって感じですね。
荒武 その時のみんなは今どんな感じなの?
高向 デイヴィッドはBBCのウェブメディアデザイナーみたいな感じで、確かサイトのUIのデザインとかをやってるんですよね。ニックは自分のHumanっていうスタジオをやっていて、33でもTシャツ出してたCPUのデザインとかもやってますよね。マットはUniversal Everythingっていって、一時期はジョージ・マイケルのツアービジュアルをやってたり。
桂 みんなすごい出世しちゃってるんだね!
高向 最近だと新しい映像モニターのプレゼンするときに使うムービーのデザインとかをやってたんじゃないかな。音楽はサイモンってお兄さんが作ってるんですよ。
荒武 そうなの?
高向 お兄さんは音楽家で、WarpからFreeformって名前でリリースしてるんですよ。やってる会社はFreefarmで面倒くさいんですけど(笑)。それで兄弟が中心になって、アメリカとかいろんな国のプログラマーとかデザイナーの人たちと一緒にやってるのがUniversal Everythingですね。それで、年に一回(スペイン、バルセロナの)ソナー・フェスティヴァルの時期になると元The Designers Republicメンバーみんなでソナーに遊びに行ってるみたい。
荒武 えー、そうなの!俺も参加したい(笑)!
桂 今はそういうネタは33では扱ってないの?
荒武 今はオンラインショップだけになってて、33フレンドリーなブランドの商品を取り扱ってるって感じですね。まあそのあたりについては今後に期待ってことで(笑)。それと今話しをさせてもらってるこのブログ記事も同時に進めてるって感じかな。
桂 それなら人には事欠かないんじゃないですか?いろんな人が関わってたわけなんで、芋づる式に(笑)。
荒武 まあそのあたりも乞うご期待で(笑)。
桂 でもこれからにつなげていかないといけないからね。
◆その後の物語
荒武 その話、いい流れだね(笑)!今まで出てもらった方々には、90年代の話と、90年代と今では仕事だったりスタンスってのがどのように変わっていったのか、それと現在の活動や展望みたいなものも聞いてるんですよ。つまり、shop33があった時代とそれからっていう部分の二つを話してもらうことで、当時を知っている人だけでなく、あの時代を知らない若い人達にも、あの時代に活躍していた人たちは当時何を考えていて、何を体験して、そして今はどういう考えに至ったのか、っていう一つのメッセージというか指針になればという意味なんですけど。それで、桂の本業はシューズデザイナーじゃない?今度は逆にロンドンで何をやってたのかってのを聞きたいんですよ。最初ってどこに務めてたの?
桂 最初から自分でやってましたね。John Lobbとかにアパレンティスに行ってたりもしたけど。
荒武 それでキャリアを積んで、そのままイギリスに永住しようって感じだったじゃない?でも今回連絡したら逗子にいるって言ってて、ええーってなったんだよ(笑)。日本に帰ってこようと思ったのはどうしてだったの?
桂 今回戻ってきたのは家庭の事情です。まあイギリスは30年近くも住んだわけで、若いころは誰に止められてもイギリスにいたくてしょうがなかったし、眠る時間を削ってまで遊んだりして楽しかったけど、年を取るにしたがってだんだん落ち着いてくるし。そのうち会社とかで働きだしたり、家も買ったりして、ひと通りやりつくした感もありましたしね。
荒武 でもイギリスで日本人が家まで買うなんて成功者だよね。
桂 いやいや、イギリスではけっこう誰でも家買ってますから。そんなこんなあって家庭の事情が重なって、潮時なのかなーと。それと昔は日本が嫌っていうか、外国かぶれで外人になりたかったのかな、若い時は。でも今はもちろんそういうこともないし、むしろ日本っていいじゃんて思ってます。今はセミ・リタイアというか、自分で好きなビジネスをちょろちょろっとやって、海外に行ってない時は逗子に引きこもりみたいな生活してて、そんな感じ。
荒武 ビジネスって何やってるの?
桂 イギリス時代のコネで靴のデザイナーをやってて、小さい規模でね。私がコレクションのデザインをして日本市場を担当してて。インドの会社なんでそれなりに色々大変ですよ。日本以外では彼らはグローバルに販路があるからそっちは任せてるんですけど。
荒武 へー。すごいねー。
桂 まー、でもそのうち完全リタイアして、近所で畑仕事とかして、、それが夢なんですけど。
荒武 もうほぼほぼ達成してんじゃん(笑)。
桂 でも近くに畑がないの。
高向 場所的にあの辺あるんじゃないの?
桂 いや、家がびっしり建ってるから。
高向 あー、そうなんだね。でも桂も野菜を作ったりすることに興味があるって言ってるけど、それってヨーロッパの文化のある程度の層の中に確実にあるみたいなんですよね。
桂 そうですね、カントリーライフってありますね。
高向 ガーデニングとかはそれだからね。
荒武 成功者としての一つのゴールだよね。
桂 確かに週末は田舎のエステートで過ごす、みたいなステータス的な側面もあるけど、田舎によっては緑とかすごい綺麗で環境もきちんと手入れされてるようなところもたくさんある。都会にも公園がすごく多いし、自然をアプリシエートしていますね。
高向 後は口に入れるものを自分で作る、もしくは自分の信頼している人から手に入れるかっていう考えもあるんですよ。例えば自分の知り合いには、「自分もそうだし自分のお母さんもそうなんだ」っていう人もいて。ドイツなんかは原発に対する意識も高いから、自分で餌とか作物を育てたりっていう半自給自足でやることの意義っていうを考える層っていうのは確実にいますね。
桂 オーガニックっていう言葉が出てから変わった気がする。スーパーとかでもそういった商品が出てきたりとか、人工的で非人間的な生活を送ってて嫌になってるんじゃない?人々が今まで住んでいた都市をでて地方に住み始めたりとか、自然回帰みたいな、そういう傾向はあると思いますよ。
桂 自分的にもそういう時期に来てるかなと。だから、今はルーツである日本的なことに興味あるし、地方にも興味もあるし。自転車に乗るのでいつか自転車で日本一周したいなって思ってるんですよ。あとはやっぱり家族を大切にしないとね。歳を取ると家族のありがたみが分かりますね。
高向 やっぱりそれって時間を経てってことだよね。
桂 そうそう。やっぱり若いときって家族にも自分の周りのものにも全部反抗するし、隣の芝生は青いじゃないけど。でも一応そういったことを全部やったから、我が家の芝生も悪くないんじゃないのっていう感じ。だから歳をとったんですよ。もう怒ってないし(笑)。
荒武 怒ってないねー(笑)。でも、90年代ってバブルだったりインターネットの出現だったり激動の時代だったじゃない?そういった影響で当時は周りが面白くないっていうような見え方がしたってことはなかった?
桂 私は携帯を持ったのは30過ぎたくらいだったから、それほどテクノジー、テクノロジーっていう時は過ぎてたんだよね。別にゲームとかも好きだったタイプではなかったし。だからインターネットと当時の自分とはあまり関係ないと思う。あのときはとにかく外に出て色んな体験をしたくて、いろいろな人に逢いたくて、いろいろな音楽を聞きたくて、いっぱい仕事してとか、やりたいことが沢山あったから。
高向 でも桂は89年の3月にロンドンに行ってるわけだから、いわゆる今話に出てきたインターネットって呼ばれているものはwindows95からパラダイムシフトがあって一般化してくるので、その間の6年間っていうのは、33の場合はタイガーマウンテンとかがあって別だと思うんですけど、桂さんも含め一般の人は95年までっていうのはメールのやりとりって何?って感じですからね。
桂 そうですね。当時はインターネットなんてあってもなくても変わらなかったですよ。どちらかというとコンピュータとか嫌いでしたから(笑)。テクノロジーは今でも通信とか、調べ物するときに便利ってくらいしか思ってない。SNSもやってないし。
◆編集後記
10年いやもっと前の仕事仲間?との久しぶりな感じのインタビューの面白いところは自分では全く忘れ去られた思い出(敢えて忘れた事にしていた古傷も 笑)をお互い呼び出して新しいパズルというかセピア色の風景写真を撮るようで、とても楽しいです。カツラさんとの対談もそんな感じで出来ました。そして家に帰ってふとベッド脇のサイドテーブルの下を見ると 33が“ 33 3/1RPM”と名乗っていた(つまり純然たる貸しレコード屋)1980年代のアナログレコードを丁度入れる大きさの袋がぽつんと一つありました。中にはまだインタビュー時に持って行かなかった秘蔵写真がまだたくさん!是非第二弾をカツラさんの地元でやりましょう。まあ単純にたまには逗子辺りに洒落乙小旅行をしたいだけかも(笑)。
あともう一つ大事なことを書き落としていました。今回の対談は僕一人では最初から分が悪いと思い(笑)、助っ人を頼みました。インタビューに参加していて語られていたように同じ90年代初頭からUKを中心とした音楽シーンに当時からとても詳しい高向氏です。彼は後には33のスタッフになるのですが彼のおかげで対談らしく収まりました。感謝感謝です!
(Akira Aratake)
------
Photographed by Kei Murata
Location カイ燗