Shop33とその後の物語 第六回 Julius Vol.1
2019年7月21日 12:00
前回の桂さんの対談から少し間が空いてしまってすみません。その代わりと言ってはなんですが、今回も強力な人たちに登場してもらいました。かつて33ではサードストーン、NU/KEというブランド名で人気を集め、今では海外を中心に展開を拡げているアパレル・メーカーのJulius(ユリウス)の中心メンバーの面々です。デザイナーの堀川氏と主にバックヤード全般を担当する清水氏を中心にブランド当初からの流れやその後の海外展開の経緯、エピソードなど興味深い深い話が聞けました。
また彼らはパリコレなどに出てるにも関わらず殆どメディアに出ておらずインタビューは貴重なものとなりました。セカンド・ブランドのNILøS(ニルズ)についても後半から詳しく語ってもらいました。それでは対談シリーズ第6回Julius篇を第5週に分けてお送りします。
(Akira Aratake)
荒武 お二人に会うのは20年振りくらいですよね。
堀川 そうですね。でも実際会うとそんな感じしないですよね。
清水 意外と変わってないなって正直思いました(笑)。
荒武 まあ僕はちょっと病気はしちゃったんですけど、意外と変わらないかもしれないですね(笑)。恵比寿のコレクションで会ったのが最後だったと思うんですよね。
清水 お店の展示会に来ていただいたときですか?
荒武 そうそう。
堀川 33は今どんな感じでやってるんですか?
荒武 色々やってたんですけど、結局店舗の方はなくなっちゃって。それで今はネットショップだけでやってます。
堀川 クローズしたのはいつぐらいなんですか?
荒武 2006年かな。
堀川 Juliusになったばっかりの頃にインタビューしてくれましたよね?
荒武 そうそう。
清水 確かその時にTシャツ作った気がしますね。
荒武 確かJuliusが始まって少しはまだ33もお店があったから、確かその辺りのタイミングですね。今Juliusは何年目ですか?
堀川 もう17周年ですね。実はNU/KEは5年位しかやってないんですよね。
清水 結構短かったんですよね。でもTシャツをサードストーンでやってたから後2年くらいはあるか。
堀川 そうだ。2年位はサードストーンって名前でやってて、洋服を作り始めてNU/KEに変えたんですよ。
清水 でも33にはサードストーンの時に営業に行ってるんですよね。
荒武 そうそう。それが95年くらいですか。
堀川 そうですね。最初に96ってロゴを入れたのをなんとなく覚えてるなー。
荒武 ASYURAも同じくらいですよね?
堀川 そうですね。でも最初(に一緒に置いたお店は)HEAVENだったかな。
清水 ASYURAが先に置いてあったんですよね。
堀川 なんかメチャクチャなのが出てんなーと思って(笑)。「新宿」とか「憎悪」とか(笑)。「憎悪」は最初に買ったんですよ。安かったんですよね、3900円くらいで(笑)。
清水 その頃うちは5000円代に乗せてた気がする(笑)。
堀川 なんか値段戦争あったよね(笑)。ASYURAが4800円ならうちは5000円だみたいな(笑)。
荒武 今も恵比寿に店舗ってあるんですか?
堀川 あります。
荒武 お店っていつぐらいからあるんでしたっけ?
清水 もともとNU/KEだったお店を切り替えた感じなんで、いつかって言われると2003年ですかね。
堀川 Juliusは2003年からだから、そうだね。それで2004年にNU/KEを一回止めて。
清水 NU/KEとJuliusは一緒にお店に並べたことなかったと思うんだよね。確かキリよく切り替えたはず。
堀川 なんか昔のことって何も覚えてないですね(笑)。
荒武 もうね、20年も経つと記憶がぐちゃぐちゃになってるよね(笑)。でもそれからJuliusはすごいことになりましたよね。
堀川 なったっちゃなりましたよね、今思えば。そういう意識もないまま、ガムシャラでやってて。
荒武 色んな人から話は聞いてたんですけど、本当にすごい活躍ですよね。
堀川 でも無茶苦茶でしたけどね。ファッションショーをパリでやったりとか。今はやめてて。まあ、違う使い方しようかなって(笑)。
清水 いやとにかくコストがかかるんですよ(笑)。
堀川 もう狂ってたよね、本当に。
清水 普通どこかバッカーがついてたら何とかって話になるんですけど、うちって後ろ盾がないんで。
堀川 ノリでやっちゃうって感じで始めて、こんなにかかるんだってわかって。本当に頭おかしかったんじゃないかな(笑)。
荒武 それでどれくらいやったんですか?
堀川 7年位やったかな。売上をほとんど突っ込んでやってて。
荒武 やっぱりそれでマーケットは広がっていったんですよね?
堀川 そうですねー。当時はああいったファッションがメインストリームだったんですよね。なんかドロッとした。今はなんというか、もっと細かくなっちゃったんですけど。
◆NU/KE、Julius
荒武 33に置いてくれてた頃ってNU/KEの時代じゃないですか。だからNU/KEからJuliusに変わって、コレクションにも出すようになっていってったって、どういう変化をしたのかってのが僕には直接わからなくて。その辺りも聞けたらいいなと思ってるんですよね。
堀川 どうでしたかねー(笑)?
清水 でもやってたことって一緒で、展示会やってったら海外のお店が興味を持ってくれて、それで自分たちから乗り込んだっていうんじゃなくて向こうから来てくれて、それを買ってくれるようになったらそこの国での展示会も多くなってくるじゃないですか。それでそこの展示会に出せるようになったらそこで勝負するみたいな感じで。
堀川 営業行ったのってshop33ぐらいだもんね。
清水 向こうから需要があるからしたってのが結構多いですね。後は、「お前らは日本よりも向こうに行ったほうがいい。日本でやってるより受けるから」って人に勧められたってこともきっかけでありましたけどね。
堀川 Juliusが日本で全然受けなかったんですよね(笑)。NU/KEのときとは状況が全然違いましたよね。
荒武 でもすごくいいタイミングだったんじゃないですか?日本はファストファッションの方向に向かっていってて。
清水 確かに。他の周りの人達も結構出ていっちゃったんですよ。
堀川 日本ブランドブームみたいなのがあって、NUMBER (N)INEとかUNDERCOVERとかがやり始めて。その後10ブランドぐらい出て、そこにうちもすっと潜り込んでなんとなく最後まで生き延びて。そんないいタイミングで行けたのかなー。
加藤(Juliusプレス担当) 始まりがすごいスムーズで、一回目の展示会で海外の卸先も20件くらいついて、もう少し早く出られるタイミングってあったんでしょうけど、なんとなく1年位準備をして出ていったのが良かったのかなとは思いますね。後はユーロが170円位で、今とは全然違って出ていきやすい環境ではあったんですよね。
清水 日本の服が安く買えたって感じだったんですよね。
加藤 だから日本の洋服のブームってのも起きて。でもそのままうちみたいに継続してやれてるってところもあまりないんですけどね。
堀川 最初7年位はロシアでの売上が良かったんですよ。ヨーロッパでの売上の40%くらいがロシアだったんですよね。ルーブルがガツンと下がって、ヨーロッパの景気が悪くなったんですけど、その間はロシアの売上が良くて。
清水 後はイタリアとかドイツも結構あったよね。今では中国がすごいんですけど、やっぱり当時はヨーロッパの人が多く買ってくれてましたね。
堀川 ロシアでの軍パンがすごくて(笑)。うちの軍パンのコレクターがいるんですよ。うちのトレードマークでガスマスクがべこって付いてるカーゴパンツがあって飛ぶように売れたんですよ。
清水 日本でも5万くらいするんですけど、向こうでは10万オーバーで(笑)。
堀川 だけど500本くらい売れて。
荒武 それはセレクトショップとかで売ってたんですか?
堀川 そうです、普通に卸して。ロシアに行くとごっついやつが「タツロー」って言ってきて、ものすごかったですよ。
荒武 やっぱり独特だったんですかね。向こうにはないテイストだったり…
堀川 そういうモリモリのサイバーパンク感って、日本の強みだったりしますからね。
清水 デザインが中途半端に入ってるくらいのやつだとあんまり出ないんですよね。向こうでは10万とか20万で出てるんで、ちょっと気の利いたっていうデザインくらいでは受けなくて、ガッツリ入ってるほうが売れるんですよね。どうせ買うならって言うやつを向こうの人はチョイスしますよね。
荒武 そういう感じって、向こうでもクラブカルチャーとかそういったところから盛り上がってくるんですかね?
堀川 そうですね。テクノDJが着てくれましたよね、Richie HawtinとかJeff Millsとか。
清水 そうそう、Jeffはお店に買いに来てくれてましたね。
堀川 そういえば、Jeffは33経由で洋服屋をやりたいみたいな話ありましたよね。
荒武 言ってた、言ってた。
堀川 それで一回相談乗ったりして、それでその後お店やり始めたんですけど、すぐ辞めちゃったよね?
清水 2年か3年くらいかな。
荒武 そうだ、そんなこともあったねー。今はヨーロッパ自体も変わってきてると思うんですけど、Julius的にはどんな感じで変わってきてるの?
堀川 だいぶ変わりましたねー。例えばイタリア人とかでダークなのが好きな人はいるんですけど、もうちょっとポップになってきたというか。うちみたいなハードなのは前ほどは受けなくなってきて。
荒武 バカ売れしたのはこれですか?
堀川 あの手この手でね(笑)。
清水 これはまだおとなしい方なんですけど。
荒武 でも今清水くんが履いてるズボンはNU/KEっぽい感じするよね。
清水 これは別ブランドのやつなんですけど、NILøSっていう。
堀川 これはストリートよりっていうか、コテコテにハードっていうよりももっとポップにっていう感じにしてて。NILøSの方が昔のNU/KEをやってる感じでやってますね。
清水 こういうのも昔やってそうじゃないですか?変わってないっちゃ変わってないというか。
荒武 そうだよ。基本は変わってないんだよね。
堀川 そうなんですよ。聞いてる音楽も変わってなくて。ずーっとIDMとかだし。でも今のほうがマニアックに聞くかなー。
荒武 でもHPの文章とか読んでも、昔から言ってることが一貫してるなーと思って。
堀川 インダストリアル、インダストリアルって言って(笑)。ふと思うと、あんまり成長してないなーって(笑)。
荒武 いやいや(笑)。でもそれで展開が世界に広がったってのがすごいですよね。
堀川 でも本当にステロタイプの山田くんも生きてたらどんなになってたんだろうって思うよね。かっこいいよねー。山田くんは神だったよね。これ懐かしいね。
(『shop33とその後の物語 第二回 ステロタイプ 児玉健一』の記事を読みながら)
荒武 レインボー2000のやつね。ステロタイプとNU/KEが出会ったってやつだよね。
堀川 レインボーってうちも出したよね。
清水 出した出した。感じで「虹2000」ってやって。結構売れたよね。
荒武 こうやってまたブログを再開して、昔扱ってたブランドの人たちとかに会ってるんですけど、みんなフィールドが変わっちゃってて。児玉くんみたいに映像とかグラフィックをやってる人もいれば、Juliusみたいに世界に出てる人たちもいて。その間に僕の知らない20年くらいがあるんですけど、その間にどんな活躍をしてたのか、そしてこれからっていうところを括ってみると面白いんじゃないかなと思ってやってるんですよね。それでまた繋がれるところもあるんじゃないかなと思って。
堀川 でも基本的にはあんまり変わんないんですよね(笑)。
荒武 みんなそう言うし、そうなんだよね(笑)。児玉くんと話をしても見てる方向一緒なんだねって感じで終わってるし。だからみんな活躍のフィールドは変わっても、基本的な部分は変わらずそれを突き詰めていってるってのはすごいですよね。
堀川 33にゆかりがあった、例えばThe Designers Republicなんかも一番変わらずやってるじゃないですか。WARPにしても。WARPなんて全然変わってないですよね(笑)。俺も相変わらずWARPが一番好きだし(笑)。
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Photographed by Kei Murata
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