shop33とその後の物語 第六回 Julius Vol.4

2019年8月11日 12:00

前回に引き続き、Juliusのインタビューの様子をお届け致します。Vol.3はこちら

◆N/A33
Shop33Harajuku-3.png
N/A33オープン時の記事

児玉 原宿でN/A33スタートした後にN/A京都店も一緒にやったよね。

清水 あー、あったあった!

堀川 そんなのあったっけ?

児玉 えー!?(笑)

清水 CONFUSEDの上でやってたじゃん。

堀川 あー、やったね。あそこはN/Aで出したのか。

清水 最初はNU/KEだけでやってたのを、N/A33が出来たから京都でも一緒にやろうっていう感じだった気がする。

児玉 探したらうちにNU/KEとASYURAでコラボしたTシャツが2、3型あると思うんだよね。骸骨のやつとか。

堀川 あー!あの目のやつでしょ?目が赤いやつ、ドット絵の。

清水 ターミネータ的なやつでしょ?色を20色くらい作って、33限定生産したやつ。あれやりましたよね?

荒武 あったねー。



堀川 ドット絵の16×16で、ASYURAを追いかけてサイバーパンクの方に振ったんだよね。あれってN/A33でやったんだっけ?

児玉 コラボで3つくらい作ったんですよ。

清水 Tシャツ100円で売りますって言ってやったよね。

堀川 確かASYURA側から一つ、うちからも一つでお互いに一個づつ出し合ったんだっけ。

児玉 そうそう。NU/KEは洋服のデザインもしっかりしたTシャツだったよね。



加藤 でも昔のTシャツのデザインとか見てみたいですけどね。今も結構ニーズあるんじゃないですか?

堀川 あのときアホだったから、33のスタッフのミーゴさんが好きすぎてMiss youっていうTシャツ作ったんだよね(笑)。これミーゴさんのために作ったんですよって言って(笑)。

清水 でもそれが売れに売れたんだよね(笑)。NU/KEの割にはポップなやつが出来て(笑)。




◆Juliusの原点



児玉 そういえば今まで聞いたことなかったんだけど、どういうきっかけでサードストーンをやろうと思ったの?二人は小学校からの同級生じゃない?20、21歳くらいのデビューでしょ?

清水 誘われたの。グラフィック会社をやりたいって言われて。それで何年か付き合って、その後に成功してやめようと思ってたんだけど全然成功できなかったから(笑)。

児玉 なるほど、スタートはそんなきっかけだったんだ。

堀川 今もまだ成功してない(笑)。

清水 出来てない(笑)。成功させてから自分でなにかやろうって思ってたけど、一区切り出来てないからまだ一緒にやってる(笑)。

児玉 なんで最初はTシャツだったの?

堀川 だってあのときグラフィッカーはTシャツでしょ。Tシャツこそメディアだったじゃん。

清水 グラフィック会社やろうって言って、色々やろうとしたんだけど、やっぱりTシャツが手っ取り早かったからかな。グラフィックって人のつながりでお金にするっていう時間もかかるし。Tシャツは作って持って行ってお願いしますで済むけど、後のものってなかなか出来ないんで。

児玉 自分たちのTシャツを着た人たちを街とかクラブで見かけたときの最初の嬉しさって覚えてる?

清水 覚えてるよ(笑)!嬉しいし不思議な感じだよね。こっちから話しかけたと思う。

堀川 俺もガンガン話しかけてたよ。今も見かけたら「あーっ!」て言うもん。

児玉 やっぱり何年経ってもその感覚ってあるんだね。

堀川 まあ(笑)。でもQ'heyくんのMoon AgeでうちのTシャツが売れ始めたときは嬉しかったね。

児玉 バンドやアーティスト系の人たちが着てくれると嬉しかったよね。

清水 そのイベントに着て来てくれる人がいたりね、嬉しかったね。



児玉 当時イベント行くとASYURAのTシャツ何人くらい着て来てくれてるかな、とか気になってたもん。

堀川・清水 そこまでやる(笑)!? 

堀川 児玉くんはそういう所あるよね(笑)。

児玉 5%ぐらいはうちのTシャツ着てたとかね(笑)。

堀川 100人とか着てくれてたことあったんですよ。その時は世界を手にしたみたいな(笑)。本当に嬉しかったよね。

児玉 N/Aで動き出してからはNU/KEは親戚みたいな感じだったから、NU/KE着てる人を見ると自分も嬉しかったですよ。NU/KEとASYURAでこのシーンを席巻したいとかね。

清水 33とかHEAVENで売ってるからクラブに着てきてくれる人が多かったですもんね。

加藤 それでモテたりしなかったんですか?これ作ってるんだよとかで。

堀川 ない。そのためにやってないから。俺本当にそれで美味しい思いをしたこと一回もないから(笑)。



清水 俺デザイナーだからとか、当時は全然そんな感じなかったから。

児玉 今日話してて思ったけど、二人とも意外と当時のこと覚えてないよね。ある意味いいことでもあると思うんだけど。

清水 結構忘れてるね(笑)。

堀川 覚えてないね(笑)。

児玉 過去よりも未来というか、それが原動力につながってるんだと思いますよ。

清水 児玉くんは覚えてる?

児玉 俺は結構覚えてるよ。

堀川 ちゃんとアーカイブしてるってのもすごいよね。

児玉 あの頃のことやNU/KEとのことはかなり覚えてるから、もし堀川くんがNHKとかで特集された時は俺がNU/KE時代の話を語りたい(笑)。


◆パリコレ



清水 パリコレって家族を連れてくとすごい喜んでもらえるんですよ。

荒武 それはすごいことだもんね。

加藤 堀川さんの息子さんもすごい感動してましたもんね。「お父さんかっこよかった?」って聞いたら、「うん」って言ってて。

堀川 でも何回かやるとダレるんですよ。俺このために金払ってるんだなとか、ささくれた気持ちになって。

児玉 パリコレへの決断は東コレがあってのことだと思うけど、どんな流れで参加するんですか?

清水 さっきちらっと話したけど、周りから出したほうがいいんじゃないかって言われるんですよ。その辺は加藤に聞いてもらったほうが上手く話できると思います。

加藤 インスタレーションみたいなのをやったんですよ。そしたらすごい反応が良くて、ゆくゆくショーをやったほうがいいんじゃないってなって、じゃあやるんだったら早くやろうって言うことでやったんですよね。

清水 全くノウハウもないときだったんですけど、プレスとして加藤に入ってもらってとかやりながら…

加藤 そうですね。全く何もない状態だったんで、パリでコミュニケーションしてくれる人をまず探しに行くってところから始まって、そんな状態だったんですけどとりあえずどんどん進めていったんですよね。



荒武 でもパリコレって誰でも出来るってわけじゃないですか?

加藤 そうですね。でもその時は組んでくれた人がパリのファッション業界に顔が利く人で、結構いいところに入れてくれたんですよね。

児玉 それって何かエントリー的なものがあるんですか?

加藤 今までの作品を一式送ってくれってのはありました。

堀川 勢いがあったんだよ。なんかよくわからんないNew waveが来たなって。今も新しいブランド見てるからわかるけど、「こいつら出してあげようよ」っていうムードが絶対ある、業界的に。

加藤 Juliusって昼間っぽくないから、やっぱり夜だよねって話になって、夜ってやっぱりいい時間帯なんですよ。最初っからそういうところにポーンと入れてくれたり、そういったのもありましたね。そん感じでやっていきながらグッと上がって、あの5年位はどんどん上がっていきましたね。



児玉 じゃあ、堀川くんが「次はパリコレじゃー!」って言ったわけじゃなんだ。

清水 東コレのときはそうだったけど、パリコレのときは意外とそうじゃなかったかな。周りからも言われて、需要もあってって感じ。

加藤 覚えてるのは、清水さんはこんなことにこんなにお金をつかうのかって反対してたんですよ。でも終わった後にみんな感動して、清水さんも泣きそうになってて。

清水 俺泣いた(笑)。それくらい高揚するんですよ。ずーっと反対してたんだけど、パリコレってこれなんだなと思って泣いちゃったなー。



児玉 それは泣くよね。ファッション業界の最高峰だもん。

加藤 終わった後にみんなでハグしてね。

堀川 でもだんだんハグにも慣れてきちゃうんだよ(笑)。10回とかやると慣れちゃう。

清水 ルーティーンみたいになったってね(笑)。

堀川 なってたね。そんなに戻りたいとは思わないな。(また)やるべきだとは思うんだけど。

児玉 堀川くんのアパートの一室のコレクションからスタートしたブランドが、世界のファッションシーンの最高峰まで行ったってのは、これはとんでもないことだと思うんですよ。もう完全に先行かれた感は強烈にあったし、自分も頑張らなきゃって思ったもん。



堀川 だったら良かった。無駄と思えば無駄だったなと思う瞬間もあるし(笑)。

清水 たまにこういうネガティブなことを言うんだよね(笑)。

児玉 いやいや、傍から見ててもすごい勢いを感じましたよ。

清水 荒武さんもそんな風に思いますか?

荒武 思うよ!

堀川 俺が村上(隆)さんに思うようなことだ。

荒武 同じ同じ。僕にとっては村上さんもJuliusも同じですよ。

児玉 そこに33があってね。

堀川 それはもう出発点だから。




◆嫉妬、刺激

児玉 33から世界で活躍する人たちがたくさん出てて、改めて33ってすごいなーって感じますよね。

荒武 村上さんはアートシーンじゃない?Juliusはファッションで、児玉くんはグラフィックで、みんなジャンルは違うのに何故か知らないけど交差してあの場所にいたってのがすごい不思議だし面白いよね。

堀川 すごい刺激的な時代でしたよね。

荒武 そうだね、今みたいにネットでなんでも出来る時代じゃないからこその時代だったかもね。

児玉 彼ら(NU/KE)はチャレンジした者にしかたどり着けないステージに行ったと思うんです。

堀川 山田くんが生きてたら全然違ってたと思うよ。ちょっと嫉妬してたというか。

清水 嫉妬してたんだ。「本当のデザイナーはあいつだ」みたいなの言ってるのをちょろっと聞いたことはあるけど。スケッチブックをいつも持ち歩いてたのがかっこよかったよね。

児玉 実は山田から何度もドイツに行こうと言われてたんだよね。

堀川 移住?

児玉 そう、移住。20代半ば頃から言ってたかな。気持ち的にはおもしろそうだし、行こうぜって想いはあったんだけど、資金面や会話の問題とか積み重ねてきた日本のベースを捨てるとなると、なかなか思い切れなかったんだよね。



堀川 そうなってたらたぶん差がついてたね(笑)。

児玉 ASYURAでラスベガスの展示会に出てた時期に、山田のデザインは世界でも通じるていうことは十分確認できたんだけどね。それでもドイツ移住の挑戦はできなかった。

堀川 敵わねーなーって感じは俺はずっとあったよ。

児玉 いやいや、それは俺らにもあったよ。洋服ではNU/KEに敵わないと思ってたし。最近思うのは、自分たちの会社だけでどうにかしようという発想よりもコラボ的な感じでそれぞれの強みを結集して拡げていった方がいいと思ってて。そういう意味では当時のN/A33はすごく面白いと思うし、ああいった取り組みはどんどんやっていきたい。

堀川 シーンを広げたいよね。最終的にそのほうが自分たちにもオーガニックに得するっていうかさ。別にお金がほしいわけじゃないし、それはあのときも今も変わんないんだけど、あのときは結構児玉くんたちに対して悔しい思いはあったから。

清水 そんなに意識してたんだ?

堀川 してたね。すごいしてた。



清水 俺ですら思うのが、シルクスクリーンで下に刷ったあとに、転写を上にくっつけるっていう、あれってデザイナーしか考えられない発想じゃない?だって、シルクスクリーンと転写って別のもんなのに、それを一緒にやってて。それってやっぱり悔しんだろうなって。

堀川 あれは全然(笑)。

清水 あれってすごくない?俺はデザイナーじゃないから詳しくないけど、転写の四角い概念を壊したわけじゃない?すげーなって思ったよね。

児玉 でも実はあれって製品としての完成度は低くてね。5回ぐらい洗濯するとプリントが剥がれてくるというトラブルがあったの。クラブや街でボロボロの「新宿」を着てる人を見て本当に申し訳ないなって(笑)。その後に改善はしたけどね。

堀川 今思えば、あの時は嫌いだったなー(笑)。むしろ「憎悪」のほうが悔しかった。

清水 あれは何が悔しいのよ?

堀川 自分で刷っちゃうところ(笑)。

清水 今回俺たち初めて日本語やったのよ。ASYURAの20何年後に初めて日本語やったんだけど、それくらいうちは日本語やったことなかったんだよね。NILøSっていうなんでもありの方なんだけど。

堀川 まあ実際はASYURAはあんまり関係ないんだけどね(笑)。でも一番ASYURAっぽいアプローチをしてんの、今。ようやくステロタイプに追いつきつつある(笑)。でもシーンを揺るがしたよね、ステロタイプはグラフィックの。俺たちは洋服のシーンを揺るがしたんだろうけど、自分たち的には理解してないから。

児玉 この間の33対談の時に荒武さんから90年代について聞かれたんだけど、堀川くんたちにとっての90年代ってどうだったのかってのも聞いてみたいと思って。

荒武 1995年ってオウムだったり地震があったり、あとはWindows95が出てきてコンピュータが一般化したりしてグラフィックが誰でも作りやすくなったり、ものすごく動く時代だったなって思ってるんですよね。だから皆さんにそのあたりの話も聞いていて。



堀川 90年代って日本が自由でしたよね。いろんなことをまだ国が許してくれてたし。だからいろんな人達が集まってきてたし。いい時代に青春があったなって。あの感じを俺はまだ追いかけてるし。

児玉 これからのJuliusはどこを目指してるの?

堀川 Juliusはオーガニック路線、末永ーい。もうお腹いっぱいだもん(笑)。でも手数があるからね、まだ。「NILøSではユースカルチャーを取り入れよう」、「Juliusは俺ら本来の目指してたようなことをやり続けよう」って。テクノで言えばエクスペリメンタル。フロア向けテクノ、ジャパニメーションみたいなものはNILøSでやればいいし。

荒武 それは先祖返りというか、昔から好きだったサブカルに戻っていくイメージ?

堀川 NILøSはそうですね。でもユースカルチャーのサブカル。だってコンテンポラリーアートってオッサン向けじゃないですか?若者はわかんない。わからないというか、別にわかる必要がない。俺はユースカルチャーも好きだから、吐き出しの場所が違うって感じだね。

児玉 なるほどね。「ユースカルチャーのサブカル」ってすごくわかりやすいね。うちも色々あったけど、今も変わらず、ずっとその分野で仕事してるもん。



児玉 山田が亡くなったあと、うちはファッション業界とか音楽業界では戦えなかったの。どこの市場だったら戦えそうかって考えたらアニメ・ゲームだった。そういう意味で言うと、NILøSがそういうサブカル視点もあるって聞いて「また何か一緒にやりたい!」って思った。

堀川 ありがとうございます(笑)。でもさ、俺たち昔からそこ見てたよね。



堀川 33がハブになってそういうところにいたじゃないですか?森本(晃司)さん然り。だから、アニメってのは俺達にとって全然恥ずかしいものではなかったし、当時から。攻殻にしても。むしろ武器。

清水 それが世界で売れるようになったじゃないですか。今までは日本でしか売れてなかったものが世界中で売れるようになって、それがでかいですよね。しかも最先端のお店も追っかけてこれは面白いって言う時代になったわけじゃないですか。

堀川 世界中のデザイナーの中でも日本のアニメに対して一番知識があると思っているし。だって、未だに最初のアニメ追っかけてるからね。そこは負ける気がしないっていうか、パッションがね。後はオタク度数でも。全然負ける気はしないですよ。

清水 NILøSのほうがデザイン画描くの早いもんね、Juliusよりも(笑)。



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Photographed by Kei Murata


最終回Vol.5はこちら

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