Shop33とその後の物語 第七回 佐藤大 Vol.1

2019年11月10日 12:00

佐藤大氏は80年代末から90年代のゲーム・カルチャー、テクノ・シーンの黎明期にその先駆けとなるインディペンデントなイベントや雑誌、レコード・レーベルを立ち上げに携わって来た立役者です。その同じ方向性からshop33とは当初から自然に色々な形で関わってきてもらいました。「エウレカセブン」の原作を手がけるなどその地位を確立した頃には33と仕事上の接点は殆ど無くなってしまいましたが、33の長い(また細い 笑)歴史を語る上では欠かせない人物です。

そこでこのブログのインタビューのオファーをしたところ、快く受け入れてくれました。今では国民的アニメの脚本を手がけるまでになっている彼の興味深いエピソードを5週に分けてお送りします。

なお私は、文中で彼のことを親しみを込めて当時の呼び方の「大ちゃん」と呼ばさせてもらっています。今更ですが、すみません。。
(Akira Aratake)

DSC_2252.jpgのサムネール画像

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荒武 お久しぶりです、今日はよろしくおねがいします。

佐藤 こちらこそ。でももう忘れてることも多いんじゃないかと…。

荒武 それが普通というか、僕もそうですし(笑)。

佐藤 とは言え、こんな機会もないと思うので、出来るだけ思い出しながら進めていければと思います。



荒武 でもきっと話ししていくうちに色々と思い出していくと思うので。

佐藤 前回の桂さんのインタビューもそうでしたよね。

荒武 そうなんですよ。話さないと思い出さないようなことばっかりだからね(笑)。それでなんですが、現在大ちゃんはどういったことをメインで活動しているのかっていうところから聞いてみたいんですけど。まあ、33のこの記事を読んでくれてる多くは、当時から同じようにスライドしている人たちが多いと思うんですよ。だから知ってる人は多いと思うんですけど、せっかくなので最初はそのあたりから聞きたいなと。

佐藤 その辺はざっくばらんに。

荒武 今どうなんですか?って変な質問だけど(笑)、僕も「交響詩篇エウレカセブン」とかまでは見たりしたんですけど、それから僕自身もシーンからずれてきているので…

佐藤 それはそうですよね(笑)。僕も洋服だったりデザインだったりとか、そういった現場からは離れてますし。今はシンプルに言うと脚本家ですね。基本はアニメーションの脚本で。丁度その始まりが20年前の「カウボーイビバップ」で、そこからアニメーションの脚本家になっていったって感じです。それまではライターだったり、DJだったり、レーベルやったり、色んな仕事をしてたんですけど、「カウボーイビバップ」から、本格的に脚本家になりたいなと。まあ、この仕事が今までの経験を生かせる自分にとっていい仕事なんじゃないかと思って、そこからはずっと脚本の仕事をやってるという感じです。



佐藤 それで、2007年にケンゴ(渡辺健吾)と立ち上げた会社のFrognationから出て、ストーリーライダーズという今の会社を立ち上げて、自分を含めた脚本家のチーム4人とデスクと経理合わせた6人体制で吉祥寺に越してきたんです。それからもう13年位なので、吉祥寺に来てからそれくらいになってるんですよね。

荒武 そっかー。吉祥寺に越してきたんですよ、って頃によく会ってたよね。あれから12,3年かー。

佐藤 そうです、そうです。それで吉祥寺に来たときに最初のパーティーをやったら森本(晃司)さんがその絵をくれて。『ようこそ吉祥寺へ』って感じで(笑)。そこから13年なんで、吉祥寺もだいぶ長くなってきました(笑)。



荒武 じゃあ今は脚本家がメインなんですよね。確かにWikipediaにも脚本家って載ってますもんね(笑)。

佐藤 メインと言うか、今の仕事は完全にそうですね。今やってる仕事だと、ドラえもんのテレビの脚本が最新の仕事です。後は子供向けのコロコロコミックでやってた「怪盗ジョーカー」という作品だったり、カードゲームの「バトルスピリッツ少年突破バシン」だったり、「パズドラクロス」だったり子供向けの作品も多いですね。

荒武 それって、ストーリーライダーズとしてチームでやったりするんですか?

佐藤 チームでやることもありますし、それぞれ個人でやることも多いですね。後はゲームの脚本も多いです。CAPCOMの「BIOHAZARD Revelations」だったり、「モンスターハンター ストーリーズ」だったり。後は実写もたまにやってます。「ノーコン・キッド」ってちょっと前にやってた、ゲームの現代史みたいなドラマで、最近で言うと「おっさんずラブ」でめちゃくちゃ有名になった田中圭くんが主役でした。これは5年位前だったかな。そういえば、そこでドラマの中で96年位のクラブを再現したんですけど、その時にみーごちゃんとかクニちゃんとかに協力してもらったんですよ。グラちゃん(竹本純生)に当時の服を借りて、まりん(砂原良徳)と二人でその服着て、アナーキックの手袋キャップを被って(笑)。



荒武 そんなことしてたんだ(笑)。

佐藤 後は来年公開で松居大悟さんという監督の実写映画「#ハンド全力」の脚本をやったり。だから実写も、アニメも、ゲームも関係なくやるっていう感じです。


◆つながり

佐藤 そうそう、「ノーコン・キッド」の中で、まさに僕が昔やってた「TGNG(東京ゲーマーズナイトグルーヴ)」っていうイベントがあるんですけど、それをこのドラマの中で再現したような話もあるんですよ(笑)。

荒武 そうなんだ(笑)。

佐藤 DEVICEGIRLSの和田くんにイベントのロゴとか作ってもらったりして。パッケージは草野(剛)くんにやってもらったんです。うちの会社のロゴも草野くんなんですけど。そういう意味では、当時のつながりもありつつ脚本の仕事をしてるって感じですね。自分の引き出しって割とその頃のものって大きいなーって気がします。



荒武 当時つながってた人達と今も一緒に仕事することも多いんですもんね。ステロタイプとかも一緒にやったりしてるんですもんね。

佐藤 そうですね、ステロとは「サムライチャンプルー」も「Ergo Proxy」も一緒にやってたし、それこそ草野くんとは「エウレカ」もそうですし、未だに色んな仕事で一緒になることが多いですね。

荒武 じゃあほんと、あの頃の延長線上から膨らませていってって感じなんですね。

佐藤 あの頃33に出入りしてた人たちはみんなすごいデザイナーになってて、すごかったんだなーって思います(笑)。



荒武 まあ人間交差点というか、色んな人がいましたもんね。

佐藤 そうそう。僕が三茶に住んでた時は近所にあった「LEVEL1」の事務所に入り浸ってて、広岡(毅)さんとか草野くん、内沢さんたちとはすごい遊んでたんです。その時に草野くんが『アニメのデザインの仕事したい』って言うからボンズを紹介したんですけど、そこから彼はアニメの仕事でバーっといくようになって。

荒武 そうなんですねー。当時のつながりが今も続いてっていうのはいいですよね。

佐藤 「ノーコン・キッド」とかこの前のエウレカの劇場版2作目もまりんに音楽やってもらったんですよ。エウレカでは教授(坂本龍一)の「バレエメカニック」のカバーをやってもらって、相対性理論のやくしまるえつこさんに歌ってもらって主題歌にさせてもらったり。ちなみに一作目は「Hardfloor」にお願いしたんですけど、Hardfloorのときは弘石(雅和)さんに頼んでやってもらって。だから、いろいろな面でつながりが続いてる感じはあります。



荒武 すごいですねー。

佐藤 いやいや、全然すごくはないです(笑)。森本さんとも94年位からずっと知り合いというか、一緒に遊ばせてもらってますけど、結局「永久家族」以降は仕事はしてないんですけどね。最近は森本さんとはアニメの仕事では全く会わず、DJの現場でしか会わないです(笑)。

荒武 あ、そうなんだ。あれ以来仕事はしてないんだ。

佐藤 そうですね。あれが僕の脚本デビュー作なんです。だからそれこそ、同時期に「永久家族」と「カウボーイビバップ」で脚本という仕事をさせてもらったのがきっかけだったんで、33のあの頃のああいうコネクションがなかったら、今こういう仕事をしてるっていうのはないのかもしれないなってあらためて思います。

荒武 たまたまの出会いだったのかもしれないけど、そういうきっかけの一つになったんだったら嬉しいですね。




◆Shop33の印象

佐藤 最初は33怖かったですけどね(笑)。なんか敷居が高くて(笑)。なんていうんですかね、お店に行くじゃないですか。すると敷居の高い感じの『お前わかってんのか感』で迎えられて(笑)。

荒武 あー、偏屈親父のやってるラーメン屋みたいなね(笑)。

佐藤 噂は聞いてたし、自分が吉祥寺っていう場所に対してのイメージってのもあったりとかして。

荒武 どんなイメージだったの?

佐藤 吉祥寺自体も敷居高いなって(笑)。

荒武 当時は吉祥寺自体にもあんまり行ったことない感じだったんだ。

佐藤 そうですね。『吉祥寺=33』でしたし。

荒武 じゃあ33に行くために吉祥寺来ると、全体的に敷居の高い街だなって感じだったんだね(笑)。



佐藤 プライドが高くて、意識高い系の街だなって勝手におもってました(笑)。それに「ペンギンカフェ」も含めて、あのビル自体が敷居高い感じで。

荒武 あのレンガの感じがね(笑)。それはNendoの藤本くんなんかも言ってたけど、AKIRAの地下に入っていく春木屋みたいなイメージがあって、最初はすごい敷居が高かったんですよねって(笑)。

佐藤 TAR(東京エアランナーズ)やスチャダラパーとかとゲームとストリートカルチャーの融合みたいなことやりだした頃、僕はゲーム雑誌のライターをやってて、自分たちでも服作ろうって感じだったんです。そしたらNigoさんやジョニオ(高橋盾)さんとかも出てきて、やっぱり裏原のあの辺の人たちも怖くて(笑)。そういう文化の中では(33が)一番テクノ寄りで僕ら的にはオタク寄りだったんですよね、もちろんファイヤーストリートには僕は行けないので、自然と吉祥寺のほうに逃げていった感じでした(笑)。



荒武 サバーブな吉祥寺の方にね(笑)。そっかー、でも大ちゃんですら敷居が高かったですかー。ペンギンカフェもそうだったからね。

佐藤 ペンギンカフェも怖かった!

荒武 俺も最初の頃は、人がいるかどうかお店を覗いてたもんね。でも曇りガラスになっててよくわかんないんだよね(笑)。

佐藤 そうそうそう(笑)。もちろん後にどちらも心地の良い場所になりましたし、自分たちで洋服作っておいてもらったりしてからは仲間も増えましたし。僕は弘石さんに会ったのが(33と関わるようになった)きっかけなんですよ。

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Photographed by Kei Murata


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