shop33とその後の物語 第七回 佐藤大 Vol.4

2019年12月 1日 12:00

今回も前回に引き続き佐藤大さん、ミーゴさんとの対談の様子をお届けいたします。
前回Vol.3はこちら

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◆佐藤大の原体験

荒武 大ちゃんの音楽とかものを書くとかの原体験ってなんだったの?

佐藤 さっきもちょこっと話しましたけど、(物書きは)ハガキ職人です。深夜ラジオを受験で聞いてて、はがきを送って面白かったら紹介してくれるってやつの先に、どうやら放送作家ってのがいるらしいってことがわかって、それで放送作家になりたいなって思ったのが原体験です。音楽に関しては、YMOが小学生の頃にダイレクトにハマって、それからニューオーダーとか、まあニューオーダーっていうかJoy Divisionが好きになって。Joy Divisionが好きになって理由が、中学生の頃にすごいパンクロックが好きな男の子がいて、多分お兄さんの影響なんだけど。そいつがUnknown PleasuresとかCloserとかを俺に持ってきて、『このボーカル自殺したんだぜ』って(笑)。それで『うわっやべー!これ聞くと死んじゃうかもしれない!』みたいな感じで聞き始めたんです(笑)。それでパンクとか聞いていって。でも大体のグループは死んでるか解散してるかだったんですよ(笑)。YMOも散開してるし。



佐藤 だから、同時体験的の音楽のブームってないなって思ってたんです、ずっと。それが89年のセカンド・サマー・オブ・ラブのときに、『これはリアルタイムで起こってるぞ』っていうのがあって。そのちょうどその少し前にテクノポップが再評価され出したりして、同時期にのちに渋谷系って呼ばれるインディーズ・ギターバンドが流行ったんです。ロリポップ・ソニック、フリッパーズ・ギターとか。ちょうどプライマル・スクリームとかも出てきて全部が繋がりはじめて「うわっやべー」ってなった、結果、Haçiendaに行ったんです。そのときにJoy Divisionともう一回つながって。『スミスとかJoy Divisionとか全部マンチェじゃん!』『マンチェ世界変えてるかも!?』っていうのがリアルタイムだったんですよ。でもアニメやゲームのオタクちゃんとしても同時並行してました。

荒武 音楽体験がほぼ一緒というか、同じ感じですね。

佐藤 ただディスコとか大嫌いだったんです。今は大好きですけど(笑)。新宿にあったニューヨークとか、六本木のロアビルにあったディスコとか、ああいう文化が大嫌いだったんです(笑)。



荒武 俺はそのへんはガンガン行ってたけどね(笑)。

佐藤 本当にそういうの嫌だと思ってたんだけど、それが弘石くんと会って『UR(Underground Resistance)ってやつらがすごいかっこいい』みたいな話をきいて、それから4heroとかガバに行くちょい前くらいのハードコア・テクノを聞くようになって。それが自分にとってパンク的だったんですよ。それでThe Prodigyが出てきて、本当にかっこいいってなって。それでジュリアナ東京に初めて行くっていう(笑)。

ミーゴ その時一緒に行った!

佐藤 行った行った!

ミーゴ ジュリアナはドレスコードがあって最初私達、中に入れてもらえなくて、、。

佐藤 そうそう。Tシャツに短パンだからって。そしたら僕らの横をLiamが通ったんだよ。それでケンゴがLiamに話しかけに行って、『俺達はお前のファンで、お前と同じ格好してるのに入れてくれない』ってすごい剣幕で言ったら、『お前たち入っていい』ってなって入れて(笑)。周りがいわゆる荒木師匠みたいなボディコンや黒服な感じの人たちも入れなくて、『おかしいだろ!』って凄い怒ってたよね。パンクだったから(笑)。

ミーゴ 本人に言ったのか(笑)。ジュリアナに来てるほとんどの人はProdigyが誰かわかってなかったんだよね。

佐藤 でもその日は凄い覚えてる。上がってこいって言われて上がったら殴られたもん。

荒武 どういう事(笑)?

佐藤 Liamがみんなを上げるみたいなのがあって、『あがれー』って言うから『わー』って上がったら警備員に殴られたんだよ(笑)。

ミーゴ ライブのノリでProdigyはやってるんだけど、警備員とかお客さんはジュリアナのノリだったからね(笑)。

荒武 それって何年の話ですか?

佐藤 確か94年とか93年くらいの頃かな。音楽の原体験はそんなところですね。




◆33で働くきっかけ



木原(next33) ミーゴさんってどういうきっかけで33で働くようになったんですか?

ミーゴ 「DJゴングショー」っていう、素人がゴングが鳴らされるまでDJができるっていうイベントが昔あって、それでM/A/R/R/SのPump Up The Volumeとかが流行ってる頃だったんだけど、その頃女子大生だったのでユーロビートをよく聴いてて、私が出るならユーロビートしかないって思って。ミックスができないから2曲ぐらいでゴング鳴らされちゃうんだけど(笑)。そのレコードを33に借りに行ってました。

荒武 借りたレコードでDJやってたんだもんね(笑)。

佐藤 すげー時代(笑)。

ミーゴ ゆるい時代でそんなDJなのにちょっとしたイベントに呼ばれたりして、新しい曲が必要になって、荒武さんに「何がいいですかね?」って相談してたら荒武さんが新しいレコード仕入れてくれたりして。



佐藤 それっていつぐらい?

ミーゴ 88年くらいですかね?その頃って33にエアロビの先生とかも借りに来てたらしいんですけど、エアロビの曲は早すぎてちょっと使えなくて、もっとメロディーがあって、切ないのが良かったから、Kylie MinogueとかRadioramaとかBananaramaとかを選んでました。そうやってお客で通ってるうちに、33で社員旅行に行くので、『ミーゴちゃんその間バイトで入ってくれない?』って言われて、だいたい勝手もわかってるしいいですよって言ってお留守番して。その後『じゃあ、またバイト入らない?』みたいな感じで言われて。



佐藤 その頃はまだ服置いてなかったの?

ミーゴ まだ置いてない。私が入ったときはCDと12インチのレンタルだけだった。

荒武 微妙に置いてなかった時代だね。Soul 2 SoulとかThe Public Enemyで置くようになったんで、それが89年くらいだったかな。うちも最初はファッションもHipHopとかそっち系だったから。

ミーゴ Soul 2 Soulがレコードショップに洋服を置いてるっていうスタイルを取り入れたんですもんね。

荒武 そうそう。あの頃はジャングルとかブレイクビーツが始まった頃で、ブラックミュージックの文化ってのが流行ってたからそっちも取り入れてて。でもやっぱ808stateが出てから、一気にヒップホップからテクノの方に移っていきましたね。やっぱりマンチェ。

佐藤 なんか全部マンチェになっちゃいましたもんね。ネオアコもそうだし、HipHopもそうだし、ブラックミュージックも全部一回そっちにいった感じがあって。そこにTB-303とかが入ってきて、一回ぐちゃぐちゃってなって。



◆ファッションの影響

ミーゴ 関根くんのパーティーも印象的だったよね。みんな服が真っ黒で、ずっとストイックに踊ってて。お酒もあんまり飲まない感じでね。ケンゴとはそこで初めて会ったんだけど、いつも2時くらいに黒い革のベストを着て現れていきなり激踊りしててとても印象的でした(笑)

佐藤 「ソフトバレエ」みたいな格好してきて、ずっとチキチーチキチー言ってね(笑)。ハイハットの音を口でやる男(笑)。

ミーゴ そんな人、絶対仲良くなるよね(笑)

佐藤 でも、そっちのゴスっぽい黒い人達よりも、僕らみたいなFRED PERRYとかKANGOL着て、ウイングチップの靴とか履いて、KENJI TAKIMIさんの下北のラブパレードとか行ってっるやつらがマンチェでぶつかるんだよね(笑)。そのときにお互いの原体験の背景に、YMOとかテクノポップがあることが再発見されて。



佐藤 それでだんだんぐちゃぐちゃってなっていくっていう。そういうのがなかったら、多分絶対一緒にいない人たちが一緒にいる瞬間だったんだよね。だって僕、急にバギーパンツはいて、絞り染めの服着て、マラカス持って、マッシュルームカットになりだすんですよ(笑)。マラカス持っちゃってね(笑)。都度都度ファッションが変わっちゃってたから(笑)。

ミーゴ そういうの大ちゃんはすぐ受け入れちゃう(笑)。

佐藤 チャラいから(笑)。だってagnes b.とか着てたんですよ。それが急にGIO-GOIとかになってるし。チャラいわー(笑)。でも、やっぱり洋服と音楽がすごい近かったんですよ。だからその音楽を好きになったらその格好をしたくなるみたいな文化があったんですよね。

荒武 そうだよね、みんなつながってたもんね。

佐藤 だからTシャツとかも音楽のジャンルに合わせたTシャツを着てるみたいな感覚はあったんですよね。



ミーゴ なんかマンチェは特徴がありすぎてさ、なかなか日本人いきなりバギーパンツ履けないよ。

佐藤 だってサッカー好きじゃないのにサッカーのシャツとか着てたもん(笑)。だって、マンチェ行ったらみんな同じシャツ着てるし。なんか赤いやつでユナイテッドとか書いてあって。これはよくわかんないけど、マンチェで流行ってる何かのユニフォームに違いないと思って、これは買わないとと。それを着てクラブに行ったらすげー喜ばれて(笑)。『だろ?』とか思いながら(笑)。なんにも知らないのにね(笑)。でも、Happy MondaysとかInspiral Carpetsとかがそういう格好してる。だからサッカーのシャツっていう感覚じゃなくて、そういうものだっていう感覚なんですよね。

荒武 ファッションは音楽の影響だけだったの?

佐藤 そうですね。コスプレ(笑)。Rising Highのレコードよりも、ニットキャップのマークがかっこよくて、帽子をかぶってRising Highのロゴを付けてたらクラブで勝ったみたいな(笑)。DJがそういう格好してると、さっきまでの話じゃないけど、そうなりたいってなっちゃうから買いたいってなっちゃうんです。

◆33 ? RPM



ミーゴ 当時雑誌が一番の情報源だったから、Fineとか宝島とかキューティとかに載ると売れるっていう感じだった。

荒武 そうっすね。雑誌の力が今とは全然違ったからね。

ミーゴ それで雑誌のために33の表記を変えたんですよね。今までは「33」だったんだけど、数字の表記だとどこのお店なのかわかんないから「shop33」に。

佐藤 最初って「33 ? RPM」っていう感じでしたよね。

荒武 そうそう。だけど貸しレコード屋じゃなくて洋服とかも売るようになったからもう「shop」にしようってなったんだよね。

佐藤 僕が行き始めた頃はまだギリレンタルがあった。(売り場の)半分ぐらいのとき。それでなくなってshopになっていって。

荒武 今はもう昔と違ってお店というものが存在理由がなかなか難しいからね。メディアっていう感じはないですよね。今はもっとコマーシャルな感じですよ。

佐藤 そうですよね。だって昔は用もないのに行って何時間もいるんですよ(笑)。そうすると誰か来てなんか喋って。そこでASYURAの山田くんとかとも知り合ったし、みんなと知り合った感じでした。



ミーゴ 階段で3階だったから、せっかく上がったんだからもうちょっといようっていうのもあったんじゃないかな。

荒武 わざわざ3階まで上がったんだから長くいないともったいないみたいなね(笑)。だからソファーみたいな椅子とか置いたよね。

ミーゴ 置いてましたね。あと自動販売機とかも。長くいていいんだよって、店員さんもあんまり構わない感じで。

佐藤 だから敷居が高いんですよ、最初は(笑)。

荒武 入ってくれれば居心地がいいんだけどって感じなんだけどね。



佐藤 テクノショップになる前のCISCOとか、WAVEとかもそういう感じだったんです。敷居が凄い高い感じなんだけど、その敷居をなんか超えるとすげーいていい場所になるんですよ。知り合いがWAVEで働いてた頃はたまり場になってて、『これかけて』とか言ってかけてもらって、営業時間のレコード屋なのに(笑)。でも海外行くようになると、海外のレコードショップそんなノリだったんです。だからどこの国に行っても、夜クラブ行って、次の昼にレコード屋行くと昨日クラブにいたやつがいて、同じ感じでしたね。だから観光旅行なんて一切せず(笑)。クラブとレコード屋のはしごして(笑)。

ミーゴ みんなで一緒に行ったオランダのレコードショップすごい良かったよね。





佐藤 凄い良かったー。「Dada Record」とか。すっごい量のレコードがあって。

ミーゴ 何なんだろうね、あの居心地の良さは。広いし天井が高くて。なんか隙間がたくさんあるというか。別にレコード買わなくても、だらだらしてても何も言われない。

佐藤 それでフライヤー見に行ったりね。だからレコード屋とか洋服屋がハブみたいな感じだったんですよね。それに一番近いのが33だった気がします、日本では。後はそれこそCISCOとか。

ミーゴ でもCISCOとかWAVEは座るところなかったもんね。外でダラダラしてる。

佐藤 店の外でずーっとタバコ吸ってた。宇田川町も大らかだった。

ミーゴ 確かにクラブに行っていい曲があったら、レコードショップが開くまで待って「これある?」って聞いて買ったりしてたよね。

荒武 今はフライヤーだって当時のような機能があるのか怪しい媒体にはなってきてるもんね。

ミーゴ そのころは情報源が本当にフライヤーしかなかった。



佐藤 そうですね。フライヤー置きに来てる人がいて、フライヤー集めに来る人がいて。

荒武 今は情報だけで言えばネットで手に入っちゃうからね。

佐藤 でもあのフライヤーがデザイナーの実験場みたいになってて、変なデザインしてる人たちもいっぱいいて。

荒武 フライヤーにしても、レコードジャケットとかにしても、このジャケットなら間違いないとかジャケ買いの文化があったよね。今はそういう前情報無しで咄嗟に判断できるようなものってのがなかなか見つかりづらくはなった気はするね。

佐藤 本当に毎週のようにアンセムが出る感じだったんです。90年代の初期のダンスミュージックシーンの初期って。ついていかなきゃみたいな。今はきっとそれがSoundcloudだったり、bandcampとかそういったところで起こってるんですよね。YoutubeもSoundcloudも、ものすごいDJがクラブでプレイ音源を流してるじゃない。STEVE BUGだろうがNina Kravizだろうが、一ヶ月前のやつがバンバン上がってくるから、俺なんかずーっとそれを聞きながら仕事してて。

ミーゴ 私もCarl Coxとかスマホで観てるなぁ。

佐藤 当時のああいう生活は二度とできないですけど、とても楽しかったですね。

荒武 二度と繰り返すことのない世界ではあるよね(笑)。



ミーゴ そう思うとやっといてよかったなと思うよね。良く行ったなって思うもん。

荒武 そうなんですよ。よくみんな行ってましたもんね、軽い気持ちで。

佐藤 絶対怖いところ行ってるんですよ。マンチェにしてもロンドンにしても、ベルリンやミュンヘンでも。廃墟みたいなところとか、倉庫みたいなところとか。

ミーゴ 警察来て20分くらいで音止まって終わっちゃったこととか普通にあったもんね。

佐藤 Yellowでも急に警察来て、全員黙れってなって、踊ったら負けみたいな(笑)。

ミーゴ 風営法でね。

佐藤 そうそう。もう(警察が)行ったから踊れみたいな。なんかそういう背徳感みたいなのは凄い有りましたよね。

荒武 今そういったのが全くなくなりましたもんね。健全だし。何だったんだろうね、あの90年代の感じは。

佐藤 多分、発見されてなかったからわかんなかったんですよ。だめって言う人もだめっていうほど、そのことを知らなかったんで。だって、東京で1000人くらいが毎週末いろんなクラブに200人くらい分けて、3チームくらいでぐるぐる回ってるんですよ。それで青山のデニーズで最終的に会う(笑)。



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Photographed by Kei Murata

最終回Vol.5はこちら

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