shop33とその後の物語 第七回 佐藤大 Vol.5

2019年12月 8日 12:00

佐藤大さん、ミーゴさんとの対談の最終回となります。ぜひお楽しみください!
前回はこちら



◆ドラえもん

ミーゴ 大ちゃん柔らかくなったよね。いい状態なんだなと思って。ドラえもんぽい(笑)。ドラえもんの脚本書いてるのってホントすごいよねー

佐藤 それはやっぱり凄い嬉しかったですよ。ルパン(三世)の脚本をやったときも思ったんですけど、ルパンはまだアンダーグラウンドだし大人のアニメじゃないですか。だからわからなくもないんです。結構ダークだし。でもドラえもんは子どもたちも見るアニメだし、やっぱり嬉しいです。


ミーゴ ドラえもんの脚本書くのと楽しそう!ドラえもんの道具ってもうなんでもありでしょ?

佐藤 でもなにか考えつくと既に大体あるんです。やはり藤本さんは凄い!何か新しいアイディアとか道具を考えるじゃないですか。そうすると藤子プロの人が、これは何巻のどこどこのシーンで使われた道具に近いです、みたいに指摘されることも多い。大体思いつくことはあるなって。




ミーゴ 大ちゃんが思いつくことでもあるんだー。

佐藤 大体ある。だから今の子供たちに描くんだったら、とかアレンジをするというか。

荒武 大ちゃんの中でドラえもんの中で一番のヒット作みたいなのはあるんですか?

佐藤 今度放送する(7/19放送)「イロガラドラえもん」って話があるんですけど、ドラえもんがいろんな柄になっちゃうんですよ。触れたものの柄になっちゃうから、木目とかに触れると木目になっちゃうの。ドラえもんは自分の青が嫌いなんです、だけど最後は結局青に戻ってちょっとホッとするっていう(笑)。花柄になっちゃったりして、しずかちゃんとかは凄い嬉しいから、いろんな柄にしちゃうんです。それが今度夏の特番で放送があって、あとイベントでイロガラドラえもんウォールって壁絵にしてくれたり、シールとかグッズにしてくれたり。あとはのび太の0点の答案に触れちゃったから、ドラえもんの全身がのび太の0点って書いてある状態になっちゃったり(笑)。



荒武 なんかあれだね、「ウォータードロップス」で作ってた任天堂のプレスリリースをプリントしたところに戻ってった感じがあるね(笑)。

佐藤 まさにそう(笑)。ただ今までいろいろやってきたけど、これは過去のドラえもんにはないなっていう話がやっと出来た。2年くらいやって。それまではやっぱり遠慮があったり、自分なりのドラえもん像とのずれがあったり、いろいろうまくいかないところがあったんだけど、イロガラドラえもんは頭がおかしいって感じで全体的にいいねってなって(笑)。みんなが『こんな柄にしたい』『花柄いいんじゃない?』とかっていう意見を出し合う面白さになったんで。

ミーゴ かわいい!

佐藤 そのドラえもんを追い込んだ上で周りが可愛いって言ってる感じにしてて。もうね、ドラえもんを追い込みたくてしょうがないんです(笑)。ドラえもんっていつも冷静でどこか親目線じゃない?でも原作のドラえもんって、慌てたり、急に世界破壊爆弾みたいなのを出したりして、「落ち着け!」みたいなことがあるじゃないですか。あれが可愛くてすごい好きなんです。だからドラえもんを追い込みたいんです(笑)。だから今回イロガラドラえもんが出来て良かった。




荒武 それが上手くマーチャンダイズとも繋がって凄いよね。

ミーゴ 花柄のドラえもんのキーホルダーとか絶対かわいい。

荒武 でも遊んでますね(笑)。

佐藤 やっとここまで来た。昔なら怒られてたから(笑)。これって今のアニメの技術があるから出来るようになったんです。CGがあるから。昔のアニメだと全てを描かないといけなかったんで、嫌がられるんです。そのタイミングとしてもすごく良かったです。個人的には映画のドラえもんじゃなくてテレビのドラえもんの脚本をやれてるのが嬉しいです。




◆shop33からnext33、90年代から現在

佐藤 聞いてみたかったんですけど、このやっていろんな人に会って話してみる企画のきっかけって、なんでそういう気持ちになったんですか?

荒武 俺も病気してなかなか動くことができなくなっちゃって、33もshop33からnext33に変わって、やれることって言うとテキストを起こすような事が中心になってきていて、だけどやっぱり95年以前より前の話ってアーカイビングされてないことが多いんで、もう一回ちゃんとその当時の人達に話を聞いて残していきたいし、それがまた今に繋がっていけばと思ってるんですよ。今みんなそれぞれの分野で第一人者になってるじゃないですか。当時とは別の道を行った人たちや同じ道を突き進んでる人たちもいるから、現在の部分も知りたいなとも思うし。



荒武 それと、当時からはみんなそれぞれ違う道に行ってるんだけど、面白い人達が33にいたということを一つの記録としてまとめてみたいなと思ってて。そこからまた何か生まれるかどうかってのはわからないんですけど、イベントなのか物なのか、またそういったことが出来たら面白いかなと思って。でも基本的には、やっぱり33があった90年代っていうのは面白かった時代なので、当時のデジタル化してないような話とかそういったものを記録として残しておくのは面白いんじゃないかと思って、ノリくん(木原)と一緒に始めたんですよね。



木原 基本的にはそういったコンセプトなんですけど、個人的にプラスで考えてることもあって。僕はここで出てくるような90年代の話ってリアルタイムでは体験してないんですよね。だから33として何かをやっていくにあたって、新しいことをどんどんやっていくことも必要だとは思うんですけど、まずはshop33の時代に何があったのか自分なりに追体験したいと思ったんですよね。もちろん実際に体験できるわけではないですけど、こうしていろんな方にお会いしていろんな話を聞いていけばまた別のフェーズが出てくるんじゃないかと。いわゆる過去に縛られるって言うことは好きではないんですけど、こうして面白かったことがあるのにそれに目を向けないっていうことのほうが、逆に過去に縛られてるような気がして。

荒武 こうして話してると、僕の記憶からなくなってたようなことが思い出されたり裏話が聞けたりして僕自身も面白いんですよね。

佐藤 なるほどー。僕もミーゴちゃんが33にどうやって入ったのか知らなかったですからね

荒武 俺すら社員旅行で代わりに入ったってのを忘れてたからね(笑)。

ミーゴ 荒武さんが言ったんですよ(笑)。



荒武 それすら忘れてたから(笑)。だからそういった記憶の中からなくなってようなことを思い出したり、当事者だけど僕は知らなかったようなことを知れるのは単純に楽しいんですよね。それをノリくんが面白がってくれるから続けてるんですけど。

木原 もちろん当時を懐かしんでくれている方もいるとは思うんですけど、僕のように知らない世代にもこの企画は届けたいと思ってるんですよね。これで完結しないで、次の世代だったり、どんどん繋げていかないといけないですし。だから自分自身、こうして知らないことを知っていく作業が単純に面白いと思えているので、当時を知らない世代でも面白いと思ってもらえると思うんですよ。だからそういった部分で参加できればいいなと思ってます。

佐藤 僕なんかホントおこがましいというか、33の直接的なスタッフでもなかったですし…



ミーゴ 大ちゃんは大きかったと思うよ。もちろん最初期の人達もいるけど、テクノとかのムーブメントの中では大ちゃんが最初だもん。

佐藤 その自覚は自分の中ではなかったですね。やっぱり音楽作ってる人たちがいたり、その周りにいる人っていう感覚だったから。レーベルもやってたけど当事者意識ってあんまりなかったです。森本さんと会ったのも33周りだし、それこそ大友(克洋)さんとか石野くんとか。『コントとか書いてたり、放送作家やってるんだったら脚本もかけるんじゃない?』って言ってきっかけをくれたのも森本さんだったし。26,7歳くらいで脚本家という仕事にあえて良かったです。それまでのチャラさが役に立つ仕事だったんで(笑)。いっちょ噛みでいろんな事を経験してたことが、総合芸術というか、そういうものに出来るのが脚本家という仕事だったんで。



荒武 変な話、チャラさって色んな所にアンテナを張ってるってことですもんね。

ミーゴ 大ちゃんは柔軟性があって、一回受け入れたらそこからどんどんアイディアが出てくるよね。

佐藤 脚本だとそれがいい嘘になるんです。みんなが面白がってくれる。

荒武 レコードレーベルとかいろいろやったけど、最終的に脚本っていうのが自分の表現手段としてやりやすかったんだ。

佐藤 しっくり来たんですよね。実は一人で長い文章書くのが苦手なんです。ほんと小説家の人とか尊敬しますね。脚本ってフィニッシュワークじゃないんで、みんなで話し合いながらちょっとづつ磨いて、いろんな人の意思が入ってくる。お金出す人、演じる人、絵を描く人、いろんな気持ちとか想いを入れて、ちょっとづつ直して調整して、最終的に色んな人の手を渡って自分が考えてもいなかったような良いものになることもあるから。もちろんクレジットをとりたいっていうくらい全くダメになることもあるんだけど(笑)。



佐藤 自分ではコントロール出来ないけど、自分が関われるっていう意味では自分に合ってるかな。全部コントロールするなら小説書くか監督になるしかないから。自分は結構適当だから、なんとなくふわっと上げたものがなんとなく良くなったら『イエーイ』ってなれる(笑)。そして自分でやった気がするっていう(笑)。

荒武 あまり細かすぎる人だと良くないんだね。



佐藤 そうそう。それを言いたいんなら監督やればって話になっちゃうし、そういう人は多分監督やるだろうし。そのノリって、33だったりクラブカルチャーの、なんとなく誰かがやってたら思ってもいないものが出来て結構面白かったねみたいな感じが近かったんですよね。

荒武 当時の空気感というかね。

ミーゴ そういうゆるい感じだから一緒にできたのかもね。

佐藤 結果を出せみたいなって感じじゃなかったから。でも今は「毎分の視聴率がー」とかになってるんだけど(笑)。でも作ってるときはそういうのは気にしないんで。だから良いんだと思うんですけど。そこまでにやってた経験が役に立ってるし。普通の人だとアニメが好きでアニメの脚本家になりたくてアニメの脚本家になる人が多いと思うんです。でも僕が続いてる理由は、別に演劇でもいいしラジオドラマでもいいし実写でもいいしって思ってるから、今もいろんな仕事をやっていけてるのかなと思います。チャラさとフィニッシュワークへのこだわりのなさ(笑)。結局自分だけでは何も出来ないから。だって、まりんとかいたらいいもん、音楽とか(笑)。まりんがいるだけで幸せだもん(笑)。だからTシャツとかもそうですよ。こういうのいいなーって言うとすげーいいの作ってくれるんですよ。だから、「わーい」って言ってそれを着て(笑)。




荒武 でも確かに児玉くん然り、みんな人のつながりでいろんなことが出来ていつの間にか良くなってるってことが楽しいって言ってる人が多いかったよね。

佐藤 確かにそういう場を求めてるってのはあると思うんですよ。だけど閉鎖的になっちゃったりしちゃうので、賞味期限ってあると思うんです。だから33的なものも90年代後半から2000年代の前半までにそういう力があったんだと思うんです。今はどこにあるのか、僕には見えないですけど。きっとどっかにあるんだと思うんですけどね。

荒武 どこですかね?Youtubeとか?

佐藤 個人的にはゲーム実況者の動画がすっげー好きで「2BRO」とか「三人称」とか「のびのびノブオ」のゲーム実況ばっかり見てるんですけど、昔の深夜ラジオ的なノリがあるんですよね。ゲームやりながらグダグダ言ってるだけなんですけど。Youtuberのやつとか。で、テレビ全然見なくなっちゃった。

ミーゴ すごいうまいんだよね、喋りがね。

佐藤 うまい。面白い。しかもリアルタイムでくるコメントの返し方が昔の深夜ラジオ聞いてるみたいで。ただただ流れてるの見てるだけで面白いですよ。だからあそこにそういう文化がありそうだなって思います。

荒武 90年代と比べて、今っていろんなことが変わってきてると思うんですよ。例えばさっきの話で言えば、ハブ的なものがどこにあるのか見えづらくなってきてたりとか。それって、自分が変わってきたからなのか、それとも周りが変わったからなのかってどう感じてます?

佐藤 自分が変わったのは純粋に年取ったのもあると思うんですけど、でも周りに関して言うと実は変わってないのかもしれないんです。例えば今の若い子たちが聞いてる音楽って、僕が昔に聞いてたリアルタイムの音楽を、ジジイたちに『これ何々に似てるよね』って言われてたような音楽なんですよ、きっと。『ふざけんな、これが俺たちのリアルタイムだ』って思うんですけど(笑)。



佐藤 でも僕らが、DAOKOちゃんとかラブリーサマーちゃんとか、今の若い子たちが聞いたりする音楽を聞いて、野宮真貴さんやカヒミさんっぽいなって思ってるんですよ(笑)。だからそういったものが繰り返してて、僕には見えなくなったり、なにかに似ちゃってるって思った段階で、新しいものを見つけられなくなったことが一番変わったんじゃないかと思うんです。だから全部記憶を失ったら、若い子たちの流行を『これ超かっこいい!』とか新しいとか思って聴ける気がする。

荒武 何々っぽいとか、そういうフィルターって本当はいらないんだけどね。

佐藤 そうなんですよ。だからBruno Mars聞いて、これいい時期のPrinceっぽくない?とか思ってるんです(笑)。

荒武 そう言われるの嫌いなのにね(笑)。

佐藤 そう、嫌い(笑)。だから、変わったとしたら自分なんですよね。でも周りも変わってるんだと思うんです。新しいものは常に出てくるから。音楽もファッションも。


◆shop33とその後の物語



荒武 次の仕事とかってどんなのがあるの?

佐藤 来年公開予定の「サイダーのように言葉が湧き上がる」というアニメ映画の脚本もやってるんですけど、今までやってこなかった王道の青春もので。今まではロボットとか宇宙人が出てきちゃうから(笑)。音楽の牛尾(憲輔)くんとは以前から一度仕事したいねーって話していて、やっとやれたんです。毎回映像と音楽って自分の中でキーになってて。だから昔、クラブで遊んでた人たちと仕事できるってのは嬉しいなーと思ってて。草野くんだったりデザインもそうなんですけど。それも33のつながりから始まってるんで、感謝してます。



荒武 いやいや、33はあくまでも場所だったので。

ミーゴ 荒武さんの、なんでも受け入れてちょっと緩いっていう感じがあったから良かったんだと思います。

佐藤 普通ダメっていうもんね、知らないやつが勝手にフロッピー作りたいとか言ってたら(笑)。知らないデザイナー連れてきて勝手にTシャツ作って売ってたり(笑)。

荒武 知らないことのほうが面白いんですよね。

ミーゴ 警戒心がないというか(笑)。

荒武 そうだね、そういうことだね(笑)。

ミーゴ なんでも置いてみるスタンスが楽しかったです。

荒武 あの時代だったから出来たお店だったかなって思いますね。



佐藤 ストリートファッションとかもエッジの効いたものが評価されてた時代で、それこそ藤原ヒロシさんとか、TARの関くんとか。でも僕らみたいに手刷りでやってるやつもそこにちょこっと入れる余地を作ってくれたんで。

荒武 村上隆さんみたいに凄いドメジャーな人たちが作るものでも、一人で作ってるような人のものでも、それを一緒に置いてるっていうのが、置く人たちにとっても面白かったって言ってもらえてたんで、それも良かったんだと思うんですよね。やってる方もそれが楽しかったですから。その中でも大ちゃんのポジションは凄い大きいポジションでしたから。

佐藤 無自覚ですよ。外様感がすげーあったんで(笑)。最初にあった頃は「秋元康っぽい」とか、「業界っぽい」とか言われてたもん(笑)。

ミーゴ 確かに言ってた気がする(笑)。



荒武 でも当時って「SOLD OUT」ってクラブカルチャーに近接してる人も結構いたじゃないですか。そういう人たちを求心する力を元々持ってて、ただの芸能事務所じゃなかったよね。

佐藤 そうですね。あの頃はテレビ業界にそういう雰囲気があったのかも知れない。面白かったですもん。今はそれがYoutubeとかだったりするんでしょうけど。

荒武 大ちゃんの脚本家になった経緯とか、今までの好きな音楽とかファッションの流れとかも考えると、昔と言ってることは変わってないよね。だから凄いというか。当時のつながりが今につながってたり、「shop33とその後の物語」ってタイトルでこの企画はやってるんですけど、流れが点じゃなくて線になってて、あまり時代ごとに区切りがないっていうか、いい意味でこれからも地続きで続いていくんだなって感じて、とても楽しかったです。

佐藤 こちらこそ今日は楽しい話が出来てよかったです。

ミーゴ こうした話もなかなかする機会もないですもんね。

荒武 この企画の流れで、また33でもなにかやっていきたいと思ってるので、協力してもらえることがあれば、そのときはまたよろしくお願いします!

佐藤 こちらこそ!

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編集後記

佐藤氏と私の初めての出会いは25年前にお店(shop33)でミーゴさんに面白い友達がいるとのことで紹介されたのが最初だったと思うのですが簡単な挨拶程度で、ちゃんと話したのは円谷町という渋谷のダークサイド・エリア 笑(当時)でクラブとゲームを融合したイベント(イベントタイトル“TGNG“ ー TOKYO GAMERS NIGHT GROOVE) をやっているとのことで、興味を持って行った時が本当の最初だったと思います。そんなイベントは今まで聞いたことがなかったので。

当時の私は六本木や渋谷、青山辺りのクラブやディスコに良く行くチャラい学生だったのですが(苦笑)、ゲームやアニメは暗くてモテないオタクの人達の趣味で(現代とは全く違うイメージでした)でも大ちゃんはそんな異質な、ゲームとクラブというジャンルを融合したイベントをその頃から始めていました。世界でも最先端だったと今から思えばそう思います。将来にはこんなイベントがもっと大きくなると思うんですよと熱く語っていたのが今でも記憶に鮮明に残っています。あれから4半世紀、ゲーム・カルチャーは今や “eスポーツ”と呼ばれ巨大なマーケット、そしてオリンピック種目になろうかとまでになっています。

25年前、インターネットで世界の人々と繋がれば国家の意識が薄れて世界が一つの大きな村になって新しい社会や文化が生まれという「グローバル・ビレッジ」という一種のユートピア思想がありました。大ちゃんも僕もそんな未来を夢見ていました。しかし現実は強力な警察情報統制国家や世界の人々のあらゆる個人データーを握る巨大企業の支配する「ディストビア」になりつつあるかもと、インタビュー後の話で彼が語っていたのが心に残りました。

ただあの頃には考えてもいなかった素晴らしい進歩(例えば自動運転のクルマやカジュアルに宇宙旅行をする時代がすぐそこまで来ている)もあります。またカルチャーやスポーツも今の若い日本の人たちは当時からから考えられない進歩をしてる面もあります。

佐藤大氏も若い頃のいろんな経験を土台にして脚本家を天職と定めドラえもんのこれからの未来をはじめ、また新しい明るい未来を描いてくれるでしょう。そしてnext33ともまた何か面白いことやりましょう!

P.S. 今回はshop33のOG(これってセクハラ用語じゃないですよね 汗)のミーゴさんに特別出演してもらいました。今や彼女も主婦となり、ちゃんとした会社(33は相当ちゃんとしてない会社だったから 笑)で責任のある仕事をこなしていると聞いていたので、あまりこのブログ・プロジェクトにも参加をしてもらうのは気が引けたのですが、大ちゃんのたってのリクエストで元々彼らは33より先に友人だったので、思い切って連絡してみたら快諾してくれました。
これも大ちゃんだったからと感謝しています。そして惜しげもなく当時の僕も知らなかったアムステルダム旅行記や秘蔵の写真の数々を提供してくれたミーゴ(ここはあえて当時の呼び名で呼ばさせて下さい 願)ありがとう!!

あ!最後にもう一つ。昔の30年前のshop33の写真で元気にミーゴさんがピースしてる横で仕事をしている私にあんなに髪の毛があったの思い出して、哀愁に浸る今日この頃です(笑)。

(Akira Aratake)

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Photographed by Kei Murata

next thirty three

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