吉祥寺+三鷹サブカルチャー物語 〜 FROM 1978'

2020年12月31日 12:00

今年はコロナに始まりコロナに終わる1年でした。このブログも私の体調の波が良く無く(ただの言い訳)結局この年末まで書かずじまいで大晦日を迎えようとしています。世間があまり禍の話ばかりですので、ここはそこから離れた昔話から思いをしたためていこうと思います。

僕が吉祥寺に初めて来たのは大学受験の下見で訪れた1978年(何と気が付くと42年前!)の始めでした。西日本の広島市から7時間かけて東京駅にひかり新幹線で訪れた高校三年生の田舎者は首都の大きさとビル群の高さと数の多さを実際に見て圧倒され、また絶対に此処に住んでやると鼻息も強く(猪之助の如く笑)渋谷のビジネスホテルに泊まって、絶対にシティボーイになるべくアーバンな香りのして、自分の偏差値を俯瞰して見て現実的な候補を(今考えると自分の当時のバイアスが思いっきり掛かっていた)4〜5校チョイスし見学して回りました。

とにかく山手線内を第1希望とし、第3希望ぐらいに少し山手線の外にある吉祥寺と言う聞いた事が無かった駅にある大学に初めて渋谷駅を始発駅として井の頭線と言うわずか20分で着く終点駅の吉祥寺駅はまるでどこかのモノレールで郊外に来た様な妙な第一印象の土地でした。ここはちょっとなーというのが正直な心持ちをしていました。しかしもの凄い勢いの人々が改札口に向かい外に出て行く活気に加えて百貨店が4つもありそんな商店街をしばらく歩くと閑静な住宅街になって大学正門に導く欅並木には好印象を持ったのでした。

しかし第一希望が山手線の中と言う固定観念を崩すまでは至らず、青山や赤坂などに活動エリアを持って行く学校の方がレコード屋や服屋やカフェそして六本木辺りのディスコに行くのが便利だと言うなんとも、今コロナと前からの失われた20年といわれる不況を考えるとこうしてテキストを打っていてる先から恥ずかしくなる様なチャラくて能天気で不純な動機で上京を企んでいた親不孝な42年前の自分がいました。結局、吉祥寺の大学しか受からず浪人することを許されなかった自分はその大学に行くことに決めました。その大学の名前は安倍前首相おかげで良い意味でも悪い意味でも国内はおろか海外にも名前の売れた吉祥寺を地元とする成蹊大学でした。

それから大学を卒業して普通の会社に3年ほどいましたがその会社は本社が大阪にありそこで3ヶ月、自衛隊の体験入隊など経て栃木の宇都宮市や千葉の千葉市や船橋市、市川市の支社を転々とした後に辞めて、学生時代からバイトしていた吉祥寺駅前(後ろ?)のレンタルレコード屋の店長として吉祥寺に戻って来てたのです。それがサーティースリー(当時は33 1/3RPMが正式名称)でした。

その1980年前半には多くのレンタルレコード店が吉祥寺にもありましたが輸入盤を中心に扱うお店は珍しく、多くの感度の高い人たちが訪れました。既に名の知られた人や後に知られるようになる人も数多くいました。それも吉祥寺という場所が都心部から少し外れた郊外にあるため、また多くの大学を持っているためにこれから何かを為して行こうとする人々が多いためだったと思います。そんな吉祥寺にゆかりのある人やお店を今年あまり活動出来なかった分、来年はもっと掘り下げて行こうと思います。

とそんな事を考えながら、クリスマス25日の午後のNHKの国会中継を見てたら、立憲民主党の辻元清美氏が安倍前総理を舌鋒鋭く詰問していました。もう二十数年前吉祥寺駅南口(井の頭公園口)を出たすぐ右手にマクドナルドがありますが、そのすぐ並びの地下階段を降りると『STONE』という行きつけというか仕事部屋的な居心地の良いジャス喫茶店がありました。ほぼ毎日そこに通っていたのですが、ある日隣の席の女性二人組のひとりが聞き覚えのある関西弁で誰だろうとチラ見したら、当時からテレビ朝日の人気番組「朝まで生テレビ」で頭角を現し売出し中の社会党の初当選したばかりの彼女でした。とは言えまだ今の様に誰でもが知っているというわけじゃ無かったからか、比較的大きな声で(特に彼女の関西弁は滑舌が良く聞こえやすく 笑)店内でも気を惹きました。それから数十年経ってテレビを付けているとNHKの国会中継で前総理と丁々発止のやり取りをしているのです。そして安倍前総理は自分と同じ学校を10年前に卒業した先輩にあたるのです。それだけなら何の関わりも無いのですが、私の所属していた同好会の何十周年かの記念パーティーを吉祥寺の第一ホテルのイベントフロアを貸し切って盛大に開催した時、会の最後に司会の人が「今日の最後にスペシャルゲストからお祝いのビデオメッセージを頂きました!」と言うと大きなスクリーンに当時現職の安倍総理が現れて同じ大学とは言え同好会の周年パーティーにお祝いの言葉をくれていました。なんと有難いことだと感慨に耽ったものです。その二人が数十年後に目の前のテレビで多くの国民の注目を浴びている光景は何とも不思議なものでした。彼らはこの吉祥寺をかつて(今もかも知れませんが)関わりを持っていた訳です。

来年は私も自分の体調をより客観的に見れる事が出来ると思います。色んな企画を考えていきますので、今後ともよろしくお願いします。今年は多くの人に困った年でしたが、新年のは良い年になりますように祈っております。

とこの文章を書いていた同じ聖夜にはTBSラジオ、武田砂鉄氏 『アシタノカレッジ』をラジコであと聴きしたら、ゲストが今や流行語大賞の審査員も務めている漫画家でありコラムニストの辛酸なめ子さんでした。彼女も数十年前に33に本人の自作グラビア小誌を持ち込んで来たのを思い出しました。彼女は当時当店のアニバーサリー・パーティーを青山でやった時にも来てくれました。そんな人が数十年後にラジオから、僕の好きな番組のゲストで対談をやっている。しかも本当に彼女にしか作れない絶妙な空気感で見事に面白い!かように一日で吉祥寺に纏わる個人的な思い出を思い起こさせる年末でした。そんなこんなで吉祥寺を纏わる物語は今日も続いて行きます。

それでは良いお年をお迎えください。
(Akira Aratake)


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