1989年DJ活動スタート... duck rock

2011年6月 3日 20:45

はじめまして、DJのDuck Rockと言います。これから33のブログコーナーを担当することになりました。音楽、アート、ファッション、懐かしい話題から近況まで色々書いていこうと思います。時々のぞいてみてくださいね。どうぞよろしくお願いします。

DuckAサイズ縮小.jpg


僕と33の出会い... お店に初めて足を運んだのは、僕がちょうどDJを始めたほぼ同時期1989年頃でした。僕が初めてパーティでDJをやるにあたって宣伝のためのフライヤーを作り、それを33店頭に置かせてもらうためにでした。当時はインターネット人口も少なくまだ余り普及していない時代で、DJをやって集客をするには、街に置かれているフライヤーと口コミだけが頼りでした。そんな中33のような音楽とクラブカルチャーとファッションとがリンクしているお店は情報発信源のような場所で、そこから僕のDJのことを知ってくれたお客さんや友達も数多くいました。

そして僕が一番最初にDJをやったのはナイト・クラブでもバーでもなく、Nude Trumpという高円寺にある古着屋さんで、そこの店内にはなぜだか常設のDJブースがありました。そこに即席のドリンク・バーを作ってというかなりDIY的な感じでの開催でした。音楽的にはインディーロックやニューウェイヴなどをセレクト。そのはじめてのパーティーの開催にあたって今振り返ると若くて青さもありましたが、なんとか盛況に終えることができました。Nude Trumpの話になりますが、実は今も健在でご存知渋谷の人気のクラブTrump Roomと同じビルの下階にお店があります。「Trump」というネーミングからも分かるようにいずれのお店も同じ系列でオーナーはいずれも松村(逸夫)さんです。当時なぜ古着屋にDJブースがあったのかは謎でしたが、20年後にTrump Roomがオープンしてその理由が何となく分かりました。

話は戻って、その後そのパーティーは主催者4人と共にオーガナイズし、Nude Trump以降も月1レギュラー化に向け、新宿のブギー・ボーイというクラブに場所を移し続けていきました。89年当時、The Smiths, Pale Fountains, Aztec Camera, Primal Scream, Echo & The Bunnymen, Cure, Love And Rockets, New Order, Josef K, Orange Juice, Jo Boxers, Haircut100...といったインディー、ギター・ロックがメインでかかる音楽のパーティーは東京ではまだ他になく、唯一僕らのこのパーティーが最初でした。当時珍しかったこともありパーティーのことは口コミで広がりフロアはいつもかなりの賑わいで超満員でした。そしてそこで1年近くパーティーを続けていきましたが、中でも印象的だったのが1989年12月末に別ヴァージョンとして単発で開催した「Goodbye 80's」というネーミング通りのパーティーでした。このパーティーではロックに加えエレクトリック色なサウンド... Gary Numan, B-52's, Depeche Mode, Visage, Art of Noise, PIL, FGTH, Cabaret Voltaire, JapanなどもDJでかけました。1980年代に青春時代を過ごした若者達が集まり、まるで西暦が変わるかのような大騒ぎで、青春の80年代を懐かしみ別れを告げました。またrockin' onなどで音楽ライターとして活躍している坂本麻里子さんも当時大学生でこのパーティーに来てくれ、彼女はモリッシーになり切ってジーンズのオシリのポッケに花を差して「This Charming Man」や「Hand In Glove」で踊っていました。また、小山田圭吾氏(当時Flipper's Guitar)やミュージシャンの木田俊介氏、Dida Dida Dooのバンドメンバー、Pacific (Creation Records)の「Barnoon Hill」のイントロで「家族や友人達へ...」とナレーションMCで参加していた中野ともこさんらも皆このパーティーに足を運んでくれていました。小さいながらシーンが広がっていこうとしているようでした。

そして90年代の幕開けです。80年代中後期から前兆はありましたが、ロック・バンドがよりリズム・マシンやシーケンスを多用したダンス色の強い音楽が沢山リリースされるようになりました。Spacemen 3「Big City」、My Bloody Valentine「Soon」、Flowerd Up「It's On」、Primal Scream「Loaded」、Happy Mondays「Step On」等他にも書き切れませんが、ここに挙げたシングル・ヒットはすべて1990年のリリース・クレジットです。区切りのいい年だから多少そんな風に意識して見てしまうのかもしれませんが、80年代の幕開けもCars, B-52's, M, Human League, Visageなどシンセサイザーやドラムマシン等を多用したエレクトリック系のロック・バンドが次々に頭角をあらわしてきました。ラジオからテレビ・コマーシャルのBGMまでそんな音楽が沢山流れ始めました。当時の音楽雑誌ミュージックライフ、ロックショウ、音楽専科、ジャム誌などの1980年1月号を見ると、誌面には「ハロー・ニュー・ウェーブ」と言った見出しで、ロック・ミュージック・シーンの新しい時代の幕開けとまるでお祭り騒ぎでした。

そんなわけで、90年代のロック・バンドの12インチEP、つまりリミックスシングルも街のレコードショップの壁を賑わしていました。そして1990年の秋僕らの新しいパーティー「...from across the turntable」が西麻布のP-Picassoで幕を開け、僕のDJ再スタートとなりました。Pale Fountainsの2ndアルバム「...from across the kitchen table」を文字ったこのネーミングは、「Pale Fountains=ギター・ロック・ミュージック」ミーツ「ターンテーブル=ナイト・クラブ、ディスコ、ダンス・フロア=ハウス・ミュージック」という僕の意図が強く出た洒落の効いた名前だなと当時とても気に入っていました。パーティーでの音楽性はある程度傾向はありましたが、時代もジャンルもとても幅広い自由なパーティーでした。そんな中自分のDJのスタイルを模索している最中、808 Stateのジャパンツアーのライブの前座でPaul OakenfoldがDJで同行しました。それを観に行った僕は「これが僕の本当にやりたいことだ。」と興奮したのを鮮明におぼえています。Oakenfoldはハウス・オンリーというわけではないのだけど、ダウンビートからアップ・ビートまで様々なBPMのエレクトリック・ミュージックをかなり正確に完璧な形でミックス、ブレンドしていました。それがバレアリック・スタイル、ハシエンダ・スタイルということなんだろうけど。

僕は早速サンプラー・マシンAKAIのS1000を当時40万近く(高過ぎ!)で購入し、既に使用していたCASIO CZ-101やVestax PMC-20SLというDJ KRUSH使用モデルのサンプル・ループ+エフェクター付きのミキサーに接続して、既存の音楽をリミックス、リエディットしていくようになりました。1つだけ例に挙げるとSpectrumの「How You Satisfy Me」。これはサイケデリックなアシッド・ロックでヴォーカルはキャッチー、だけどビートの音量が小さく細かったためダンスフロアでは少し響きが足りなかった(でもそこがよいのだが)。シンプルなループに近い曲構成もリミックスするには格好の曲だった。僕はこれにJames「Come Home (Andrew Weatherall Remix)」のブレイク・ビーツを1小節拾ってきて、それを少しだけ加工してループさせて、その上にSonic Boomの声やギター、歪んだオルガン、Spacemen 3のHow Does It Feel?のアカペラを重ねていった。自己流な作り方だったし、制作過程もかなりシンプルで、DJのクリエイティビティとは?と自身に問いかけたりもしたが、いざプレイしてみたらそれがダンス・フロアですごく盛り上がった。自分がリエディットしたヴァージョンで...ととても興奮した。他にもSpacemen 3, Fun Boy Three, MBV, Lulu Kiss Me Dead, Donovan, Velvet Underground, Troggs, Beatlesなどでヴァージョンを作っていった。

P-Picassoで始まった「...from across the turntable」は、Cave - MC1000 - Slits (元Zoo) - Basement Barと場所を移動しながら続けていった。今振り返ればすべてがパーフェクトだったわけではなく、短い間ではありましたが苦悩の時期もありました。XL Recordings全盛の少し後Junior Boys Ownが発足されてムーブメントとなっていた1993年です。その頃、新宿歌舞伎町のMC1000で開催していたのですが、パーティー自体はお客さんも毎回200?300人を超えるにまで成長し、どんどんよくなっていったのですが。僕のそれまでのハウスにロックをミックスさせるというスタイルが、油と水状態で完全に分離してしまって、ダンス・フロアでどうにもこうにもうまく機能しない時期がありました。今振り返っても音楽そのものが悪かったわけでもなく、マンチェスタームーブメントが終えた後の静寂とでも僕は形容しているのですが。でもそれは時代の潮流がとか、その頃の東京のクラブシーンは... とか余り大袈裟な話ではなく、いろんな偶然が重なってそうなってしまっただけのことだと振り返っています。とにかくうまく分析は出来ませんが。ただ僕のDJがうまくいかなかった理由もありました。それは僕がかけていた93年当時最新のハウスミュージックが必ずしも「...from across the turntable」テイストなロック色ではなかったこと、そして僕がその頃東京でも人気のシューゲイズサウンドにそれほど夢中にならなかったこと。この2つはおそらく関係していると思います。いろいろな音楽が好きだと言ってみたり、DJで個人的な主張もしてみたり、僕は結局自分自身も楽しみたかったんだなということと、多少の頑固さや主張もあったのだと思います。頑固じゃなければダンス・フロア0人になんてしないと思うし...。(常にではありませんが、あれは冷汗体験でした)そしてその頃初めてDJの難しさを痛感しました。そんな中、DJのQ'HEY君や当時大学生だった深川君(CALM)が僕のDJを見守りに?(笑) 遊びに来てくれていました。

なんとも気になる終わり方ですが、続きは次回の90年代中期以降の話で書こうと思います。

 

DuckB縮小.jpg

DuckF_polaサイズ縮小.jpg

 

 

 

吉祥寺 井の頭公園〜ハモニカ横丁 2011.6.3 6:00PM
Photographed by Kei Mrata
着用のT-SHIRTSはGio-Goi THORIUM

DJ Duck Rock

1990年代初頭ナイトクラブでのDJをスタート。DJセットでは、ハウス、ブレイクビーツ、エレクトロとその時代の最新のエレクトリック・ミュージックを軸に、時に60〜90年代のモンド、ロック、ニュー・ウェイヴ、インディーなどの音楽をアクセントとしてミックス。BPMや質感の異なるそれらの多様な音楽の組み合わせ、DJミックスさせていくそのスタイルは、現在も変わらずジャンルの違和感を越えユーモアに溢れている。1999年以降、現在のDuck Rockに名義を改め、DJにとどまらずリミックスやプロダクションも本格的にスタート。Jon Spencer Blues Explosion,Space Cowboy, Polysics, Tokyo Sluts, Ramrider, Digiki,Detroit7他からのオファーを受け、数々のリミックス作品を手掛けオフィシャル・リリースされてきた。2002年にはKSRよりMixCD'Sound Republic Vol.2 Mixed by Duck Rock' (KCCD-092)を発売。その後も複数のコンピレーションに参加を重ね、現在もリミックス等のプロダクションとDJとで平衡して活動している。
http://soundcloud.com/duckrockremixes
http://www.mixcloud.com/djmixduckrock/
pagetop