1999年から現在のDuck Rock

2011年8月14日 19:54

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前回、前々回と僕のDJのヒストリー的なことを書いてきましたが、3回目の今回は90年代末頃からのお話です。

1998年春、8年近く続けていた「...from across the turntable」というパーティーは終止符を打ちましたが、普段のDJの活動は相変わらずで、加えて新たなパーティーもスタートしてそれが予想以上に成功したりと充実もしていました。そしてそれと同時期に自身のDJのネーミングを変えたのがこの頃です。新しい名前は'Duck Rock'というMalcolm McLarenの1983年リリースのアルバム・タイトルから引用しました。いつもネーミングは迷うのですが、この時もやはり迷いました。Duck Rockに名義を変えたことにはもう1つ理由があって、自身のプロダクションを新しくスタートさせる準備で、その為の名前というものでした。DJとしては勿論でしたが、これから本格的な音楽制作プロダクションをスタートさせるという意味でDuck Rockと名乗るということは自分にとってとても重要なことでした。そして名前を変えて間もなく僕の近辺でいろいろと印象に残るような変化も起きはじめました。少し長くなってしまいますが、そのことを書いていきます。

1999年2月、ACMEジャパン・ツアーで来日中だったThe Jon Spencer Blues Explosionとの出会いもその1つでした。恵比寿のMilkでBlues Explosionアフター・パーティー的なイベントが行なわれたのですが、Blues ExplosionのドラマーRussell Siminsや僕Duck RockもそのパーティーのDJとしての出演者でした。そんなこともあり、僕は自分のDJセットにJon Spencer Blues Explosionの曲'2 Kindsa Love'をかけました。その頃'2 Kindsa Love'が大好きで、普段のDJでも自分でダンス・リミックス風にアレンジ、エディットしたものをよくかけていました。そしてその夜もDJブースにサンプラーなども持ち込んで、'2 Kindsa Love'の更にリエディットしたヴァージョンをDJに織り交ぜていたんですが。それを聴いたRussell Siminsが僕のDJの最中DJブースに上がり込んできて「これ俺達の曲じゃないか。何だこの聴いたことないヴァージョンは?何のブートレグ盤だ?」とざわついていた。僕は「僕が自分で勝手に作ったリエディットで...」と答えた。ダンスフロアも盛り上がったし、曲の本人Russell Siminsもとても喜んでくれたので、僕もDJ後はすっかりご機嫌でRussellとバーでビールを飲んでいた。しかし話はそこでは終わらず、その後Russellとお喋りしてる時、「さっき君がやっていたアレンジはすごくよかった。今度ACME Plusという企画盤をリリースする予定なのだけど、よかったら'2 Kindsa Love'のさっきのようなビートを使った君のリミックスも収録したい。」と。僕はすごくうれしかったのだけど「僕は今のところただのDJに過ぎない、リミックスやりたいのは山々なんだけど、今はまだリミックスする技量は持ち合わせていない。」と答えた。するとRussellは「そうか... だったらニューヨークの俺のスタジオに来てくれないか?俺がマニピュレーターをやって一緒に作業すればいいじゃないか。」と話は延々と続いた。「Russell結構酒飲んでるな。明日になったら覚えてないとかじゃ...」とか少し思っていたら、後日彼はジャパンツアー中の福岡のライブ会場から僕の自宅にわざわざ電話をくれて、「もう一度あのヴァージョンを聴きたいので東京のリキッドルーム公演でDuck RockにDJをやってほしい。」ということになり、僕はオープニング・アクトとしてDJをやった。ジャパン・ツアー後、彼がニューヨークに戻ってからも電話をくれたりして、僕は大ファンでもあったので強く感動した。そして最終的に僕が東京でマニピュレーターを雇ってリミックス作業をするということになった。そのマニピュレーターでサポートしてくれたのがDJ仲間のQ'Hey君と、アブリールスタジオの木田氏だった。そして結局2曲リミックスを手掛けることになって、完成したリミックスはアメリカのMatadorではなく最終的にイギリスのMute Recordsより、2 Kindsa Love (Duck Rock 105.9 FM Remix) とDo You Wanna Get Heavy? (Duck Rock Hip 'n' Bass Remix) の計2曲がリリースされた。99年の夏でした。

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Duck Rockに名義を変えた理由の1つが、先にも書いた自身のプロダクションを新しくスタートさせるそのための名義ということもあったので、Blues Explosionの仕事は僕自身のソロ作品ではないが、Duck Rockの名前で縁起よいスタートだったかもしれない。99年当時日本でも大人気だったJon Spencer Blues Explosionのリミックスを手がけたということもあって、その影響力も大きかった。このリミックスを聴いてくれた沢山の日本のアーティストからリミックスの依頼を受けるようになった。そんな中、日本のアーティストではじめて手がけたリミックスがPolysicsとPealoutでした。この2つのバンドは偶然にも連日での電話でのオファーだったのですが、リミックスの締め切りの日もほぼ同時期だったので、同時進行での作業だった。その後もリミックス・オファーは不思議なくらい途絶えることがなかった。僕は自分のことを過信もしていなかったし、初めて味わう感覚だったけど、世に作品を発表するというのはこういうことなのかな?という感覚もあった。そうして音楽の仕事が多忙を極め、僕は当時10年間働いていた会社をいろいろと迷いもあったのだが2000年春退職した。退職理由は「音楽の仕事が忙しくなった」と言うものだったんですが、職場の社長も応援してくれて退職金の額も半端ではなかった。僕はその社長とは仲もよかったのですが、お金だけではなく言葉で言い尽くせないくらい世話になった人なんです。

その後、仕事以外でも人生に於いていろいろと大きな変化もありつつ(長くなるのでここでは省略しますが)僕は新たな目標に向かっていっていたという感じで、すべてに於いて充実し切った幸せな時期でした。数年間はとにかく来る仕事拒まず明けても暮れてもリミックス作業ばかりやっていました。勿論その作業と平衡して機材やMIDIのことも多く学んでいくことができました。そんな中2002年にいつもと違う仕事が... KSRという日本のレーベルからでDuck Rock名義でのDJ Mix CDのリリースのオファーでした。そして「Sound Republic Vol.2 Mixed by Duck Rock」というタイトルで日本国内盤のみで発売されたのですが。オフィシャル・リリースだったため、曲の制限もあり、例えば僕がヘヴィー・プレイしていたRolling Stonesの'Sympathy for the devil'などは楽曲使用料が高額で選択の余地はありませんでした。インディー・クラスでも楽曲使用料が余りに高くてセレクトできないボツにせざるを得ない曲も何曲かあったり、収録曲数にも制限があったりと、クラブでのDJプレイのようにサンプラーで仕込んだ曲のサンプルの部分使いなんてのも許されません。しかし、前向きな条件としてはDuck Rockのリミックスやオリジナルをふんだんに収録してくれというものでした。そして僕がかかわった曲は3曲使いDuck Rock色の強いミックスを作ることができました。このCDを発売したことによって、新たな沢山の人達からのリアクションがあり東京以外や海外でのDJの機会も増えました。

そして同時期2003年だったと思いますが、渋谷のRuby RoomというクラブでDeck'n'EffectというパーティーをBluewaterというユニットを組んでいた親友2人と僕Duck Rockの3人で新たにスタートさせました。これは僕がこれまでDJ活動してきた中で音楽的に一番クオリティの高いパーティーでした。ヒップ・ホップのDJがスクラッチが下手だと仲間にバカにされるのと同じで、クオリティの高いパーティーでなければならなかった。BluewaterのDaiとhidekickに関して言えばとにかくミックスが上手かった。技術的な部分だけでなく、音楽性の幅広さや音楽への愛という部分で彼らとは感性がとても近かったことが組んでやりたいと思った一番の理由で、Bluewaterの2人も僕の幅広い音楽性を受け入れてくれた。このパーティーは5年位続いたが、今は休止状態。それはそれでと物足りない状態ではあるのだけど、DJ各々がのライフ・スタイルや音楽への思いがより良い状態で行なわれるべきだと思うので、それはそれで仕方がない。BluewaterにしてもDuck Rockにしてもそれぞれプロダクションをやっているということが現在3人の接点であり強みでもあり、極論を言ってしまえば3人はDJよりもプロダクションの方が大切かもしれない。パーティーとしての再開は、今はいろいろと考えながら動いている時期でもある。

DJというのは、特にエレクトリックミュージックの場合、長年やっていると時代のトレンドの音があったり、古いものが廃れていったり、新しいものが生まれたり、廃れたと思っていたものがリヴァイバルでヒットしたり、いろいろなことがある。でも自分の部屋の天井高さまであるレコード・コレクションを改めて眺めて見ていると、音楽性は幅広いながらどこか共通点があるようにも思える。カテゴリーやBPMの違いとはまた別の部分の共通点というか。僕がDJを始めた1990年頃僕はこんな風に思っていた。子供の頃好きだったGary NumanやKraftwerk, JapanやQueenは10年後の1990年でも飽きずに好きだが、今(1990年当時)好きなハウスやエレクロニカという音楽は80年代のそれらよりも地味で単調で、それらの音楽を10年後、20年後飽きずに好きでいられるか?と...。だけど僕のレコード棚にあるそれらのコレクションはどちらの時代のものも僕は今でも好きでいる。もっと総括的に言うと、1950年代以降の一度気に入った音楽を時代の流れで聴かなくなるというのは僕の中ではどうやらなさそうだ。昨夜のDJで90年代のDOPの'Here I Go'(Guerilla Records)という曲をかけたのだが、Punks Jump Up同様フロアは大盛り上がりだった。

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DJ Duck Rock

1990年代初頭ナイトクラブでのDJをスタート。DJセットでは、ハウス、ブレイクビーツ、エレクトロとその時代の最新のエレクトリック・ミュージックを軸に、時に60〜90年代のモンド、ロック、ニュー・ウェイヴ、インディーなどの音楽をアクセントとしてミックス。BPMや質感の異なるそれらの多様な音楽の組み合わせ、DJミックスさせていくそのスタイルは、現在も変わらずジャンルの違和感を越えユーモアに溢れている。1999年以降、現在のDuck Rockに名義を改め、DJにとどまらずリミックスやプロダクションも本格的にスタート。Jon Spencer Blues Explosion,Space Cowboy, Polysics, Tokyo Sluts, Ramrider, Digiki,Detroit7他からのオファーを受け、数々のリミックス作品を手掛けオフィシャル・リリースされてきた。2002年にはKSRよりMixCD'Sound Republic Vol.2 Mixed by Duck Rock' (KCCD-092)を発売。その後も複数のコンピレーションに参加を重ね、現在もリミックス等のプロダクションとDJとで平衡して活動している。
http://soundcloud.com/duckrockremixes
http://www.mixcloud.com/djmixduckrock/
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