洋楽

2011年9月22日 12:00

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僕は書店に行くとついつい長居してしまうのだけど、大体お決まりのコースで最後に洋楽の音楽雑誌のコーナーで締めくくるというのがいつものパターン。散々立ち読みした挙げ句、結局購入したりするのだが。ついこの間、わりと久しぶりに書店に足を運んだ時のこと「あれっ?」と、そして直後目を疑った。沢山並んでいる音楽雑誌コーナー、その9割近く大部分が邦楽誌だった。その間に挟まれるようにrockin' onとBURRN!の2誌だけがひょっこりと陳列されてあった。(Sound & Recording等楽器の雑誌、THE DIG、レコード・コレクターズのような最新洋楽情報ではないアーカイブ的な雑誌はまた別の棚に置かれてありましたが。)snoozer誌の廃刊やLOUD誌の休刊のことは聞かされていたので洋楽業界の最近の現状は分かっていた。とは言え、いざいつもの調子で書店に行って、PATi PATi、フールズメイト、SHOXX、CUREなどのビジュアル系邦楽誌ばかりが目に飛び込んでくると、何というのかもう...。昨年HMV渋谷が閉店し、それ以外でも音楽業界、特に洋楽の不況の現状も目の当たりにしてきた。僕にとっていつの時代も身近に溢れていた海外の洋楽という音楽が、これから先少しずつゆっくりと日本の市場から薄れていって、いずれはなくなってしまうんじゃないかと変な錯覚さえ抱いてしまう... 僕が本屋で見た光景はそれくらいショッキングだった。少し大袈裟ですが。

雑誌業界に限らず、他のメディアでの洋楽は今どうな感じなのだろうか?ラジオやテレビでは洋楽は流れているのだろうか?少し前にJ-WAVEを聴いていて、MGMTの「Congratulations」からのシングル・カットが上位にチャート・インして曲がかかった時はとても嬉しかったのは覚えている。ラジオと言えば僕が10代の小中学生の頃、夢中になって聴いていた。その頃、地方の大分県で暮らしていた僕はコンサートに行けないというストレスはあったが、それでもラジカセのスイッチを入れれば洋楽が、ニュー・ウェイヴが流れていた。渋谷陽一の「ヤング・ジョッキー」、大貫憲章の「全英トップ20」は、洋楽ファンなら誰もが聴いていた。坂本龍一や佐野元春の「サウンド・ストリート」では、YazooやArt of Noiseがかかっていた。テレビをつければ、NHKの「レッツ・ゴー・ヤング」には歌謡曲番組だというのにJapanやRamonesが出演し、また本屋に行けばMusic LifeがRock Showがrockin' onが並び、他にもIn Rock、jam、Rio、音楽専科といったすごい数の洋楽誌がコーナーを埋め尽くしていた。おかしかったのが、日本のアイドル雑誌の「明星」や「平凡」には郷ひろみとCheap TrickやQueenが混在して掲載されていたりもした。あとテレビ・コマーシャル... TDKのビデオ・テープのCMにはAndy Warholが、宝焼酎のCMにはDavid Bowieが、清酒大関にはSuzi Quatroが、PARCOの一連のCMシリーズにはB-52's, DEVO, Gary Numanが出演していた。

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こういった時代に、最も多感で影響を受けやすい青春時代を過ごせた僕は、ある意味とても幸せだった。小中学時代、洋楽を聴いているクラス・メートはクラスに2、3人いればよい方で。そう言えばBrian Eno好きな中学3年の先輩(面識はない)と1度だけ学校の廊下で「君どんなバンド好きなの?」と聞かれ、音楽談義をしたこともあった。(おそらく僕がJapanやCheapTrickの手提げ袋で通学していたので、それに気づいた先輩に目を付けられた。)YMOはもはや小中学生の人気者だったし。また喫茶店の有線で毎日かかっていたGary Numanの「Cars」。あのせんだみつお司会の洋楽ヒット・チャートのラジオ番組「オール・ジャパン・ポップ20」(AM局文化放送)の1978年12月第2週付チャートでは、JAPANの「奇しい絆」が4位に入っている。

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今振り返ると「あの時代は夢だったのか?」と。これは僕の見解だけども「これは日本で売れるだろう。」「これは売れないだろう。」という感性だけで分類するのではなく、良質な音楽を、一見難解そうな敷居の高そうな音楽でも奇抜な音楽でも、良質なものであれば雑誌で紹介し、ラジオで繰り返しオン・エアーし、世に露出するきっかけ作りさえすれば、「よい音楽であれば人気に火がつくのではないか?」と、当時の日本の音楽ジャーナリズムはそう信じて音楽を紹介していたのではないか?僕はそういった時代の真っただ中に音楽の影響を受けながら育ってきた典型的なタイプだと自分のことを思っている。

年月は経ち20代になった80年代中後期、僕が東京に出て来て以降も僕は飽きることなく今度は東京での生活でもラジオを聴き始めた。例えば東京FMの「FM Transmission Barricade」という番組ではロンドンや東京のナイト・クラブDJが週替わりでレア・グルーヴやハウス等のDJミックス・ショウを行なっていた。またNHK-FMではPale Fountainsの中野サンプラザ公演の模様が特番が放送されたり、他にもFrank Chickensのロンドン・ライブ・リポートと、アンダー・グラウンドで刺激的な番組も数多くあった。それから90年代になって、沢山のFM局が開局していった。そんな中僕が好きだったのが1996年にスタートしたInterFM。選曲も僕好みでインディペンデントなロックやヒット・チャートも含んだ上での新しい音楽が流れていた。InterFMで1997年から2000年まで放送していた「チャンネルG」という番組があった。DJはジョージ・ウィリアムズに加え、マイク・ロジャース、タロヲ、YUKAの4人でバカ騒ぎをするという痛快な内容で洋楽も沢山流れていた。僕は毎夜会社で残業しながら、ビールをこっそり飲みながら聴いていた。Dandy Warhols、Pulp、Fatboy Slim、あのStretch & Vernまでもがヘビー・ローテーションだった。インディー、ハウス、ビッグ・ビートまで当時他で聴けなかったような新しい音楽がかかり、他の番組、他局とは明らかに違っていた。

話しは少し前後しますがテレビの話です。80年代中後期から90年代にかけて僕は'ベスト・ヒットUSA' 'ポッパーズMTV' 'MTV' といった洋楽番組をよく見ていました。どれも混じりけのない100%洋楽の番組です。MTVについて少し書きます。当時MTVを観るためだけにケーブル・テレビに加入した程で。全盛の80年代中後期はTears For Fearsの「Shout」が、90年代以降もOrbitalからSquarepusherまでそれは夢のようなプログラムでした。MTVのロゴやジングルもとてもクールだった。そしてここからが悲劇の始まり、2001年「MTV」は「MTV JAPAN」へと名前を改名し、洋楽色の強かったかつてのMTVは、邦楽のテレビ局?と思ってしまう程、国内のミュージック・ビデオばかり流す日本独自のチャンネルへと変わっていった。かつてのアメリカからそのまま輸入された感の強かった字幕付きのあのMTVの独特のムードはもうそこにはなかった。アメリカで80年代一世を風靡した「スリラー」のビデオが流れていたあのMTVとは完全に別物になっていた。僕はMTVで洋楽を観るためだけに加入したケーブルTVだったが、MTVが民放やオリコンと差が余りなくなったことをきっかけに解約した。そしてその時洋楽を聴く楽しみが1つ減った。

今の時代Youtubeで音楽を観よう、聴こうと思えばいつどこからでも観れるし、amazonでCDを買おうと思えばいつどこからでも買い物が出来る。ただぼーっとしていたらこれらの情報は飛び込んでは来ないけれど。誰かに教わると言うよりは、自分で掘り下げていく類のものだと思う。更にインターネットという情報なので都会も田舎もなく全国どこにいても同じだ。僕が10代を過した1980年代、都会と田舎は明らかに違っていた。僕の田舎大分県ではコンサートが観れない代わりにホールでは「フィルム・コンサート」なるものがあって、ロックのライブ映像に向かって女の子が「レスリー、キャー」と叫び、映像に向かって手を振っていた。ラジオ局もFMに限って言えば1局しかなく、洋楽と巡り会うには明らかに不利だった。ただ僕は学校を遅刻してまでも朝からラジオを聴くほど音楽に没頭していたので、そのパッションだけでいろいろな音楽に出会うことができたんだと思う。都会にいて音楽との出会いをただ呆然と待つことと、田舎にいて必死に音楽情報を追い求めるのと、を比べた場合どちらがよいのか僕には分からない。ただ、やはり今の時代日本のどこにいたって洋楽の情報は明らかに少なくなってきている。そこがさみしい。かつて周りから飛び込んで来ていた音楽は、今は飛び込んで行かなければなかなか出会えない。そうして僕が飛び込んで聴き始めたのが、海外イギリスの国営放送BBCラジオのインターネット放送。これがここ数年の僕のライフ・スタイルの中心となっている。今のインターネット時代だから出来ることだけど、海外の音楽を海外の番組で聴いている。

今回やたらと長くなってしまいましたが、洋楽が日本でもあんなにももてはやされた「奇跡ともいえる時代」は何だったのか?そんな中、QueenやCheap TrickやJapanは日本で最初に火がついて、その後海外に飛び火し人気が出たというのも有名な話だ。Cheap Trickの日本のみの発売だったアルバム「at武道館」は、発売翌年1979年日本の後を追うようにアメリカでもリリースされ、全米4位という大ヒットとなった。それを機にCheap Trickは本国アメリカでのブレイクを果たした。とても素敵な話だと思った。

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DJ Duck Rock

1990年代初頭ナイトクラブでのDJをスタート。DJセットでは、ハウス、ブレイクビーツ、エレクトロとその時代の最新のエレクトリック・ミュージックを軸に、時に60〜90年代のモンド、ロック、ニュー・ウェイヴ、インディーなどの音楽をアクセントとしてミックス。BPMや質感の異なるそれらの多様な音楽の組み合わせ、DJミックスさせていくそのスタイルは、現在も変わらずジャンルの違和感を越えユーモアに溢れている。1999年以降、現在のDuck Rockに名義を改め、DJにとどまらずリミックスやプロダクションも本格的にスタート。Jon Spencer Blues Explosion,Space Cowboy, Polysics, Tokyo Sluts, Ramrider, Digiki,Detroit7他からのオファーを受け、数々のリミックス作品を手掛けオフィシャル・リリースされてきた。2002年にはKSRよりMixCD'Sound Republic Vol.2 Mixed by Duck Rock' (KCCD-092)を発売。その後も複数のコンピレーションに参加を重ね、現在もリミックス等のプロダクションとDJとで平衡して活動している。
http://soundcloud.com/duckrockremixes
http://www.mixcloud.com/djmixduckrock/
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