「僕の好きなミュージシャン from A to Z」(前半A to M)

2011年11月 9日 16:59

好評頂いているDJ DUCKROCK氏の連載ブログは今回、次回と2回に分けて彼の好きな音楽をアルファベット順に綴ってもらっています。さすが、本物のDJはチョイスが多岐に及び且つマニアック。知らないバンドや曲に出会えて面白いです。また彼の音楽に対する想いの深さを感じるコラムです。


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さて、何を書こうかというのでいつものようにとても迷ってしまいましたが、今回は題して「好きなミュージシャンfrom A to Z」。AだけでもAudio Bullys, Andy Weatherall...、BだとBeatles, Bee Gees, Bach...と、CでもClash, Casabian, Cars, Cheap Trick, Cabaret Voltaire, Cockney Rebel & Steve Harley...とキリがありません。なので殆ど思いつきだけですが、多少幅広めの音楽ジャンルでと意識してみました。A to Zだと長くなってしまいそうなので、前半、後半と2回シリーズに分けていくことにしました。今回は前半AからMまで13アーティストです。


[Andy Gibb]
あのスーパーグループBee Gees3人兄弟Barry, Robin, Mauriceの更にもう1人の末っ子のAndyはマンチェスターの生まれ。歌声を聞けばBee Geesの弟だとすぐにわかる声。僕はなぜこの人の音楽がこんなにも好きなんだろうって考えた時よくわからないんです。勿論、いいシンガーだし、いい音楽だから自然に聴くようになったのだけど、なぜAndy Gibbのアルバムを年に何度も何度も聴いてしまうのか?Andyはデビュー前の音楽修行の時期、既にBee Geesとして商業的成功を収めていたお兄さんたちから経済的な援助を受けていたそうです。そうしてデビューを果たし、バリー・ギブらのサポートも得て制作されたAndy Gibbのセカンドのアルバム・タイトル・トラック「Shadow Dancing」は、1978年4月にシングルカットされアメリカで7週連続1位に。作曲はBee Gees+Andyの4兄弟によるもの。Andyは、その前後を含めビルボード・ホット100で計3曲連続でナンバー1シングルヒットを記録させた初めてのソロ・シンガーだそうです。日本でも大ヒットした当時僕は小学6年生でした。Andyはルックスも格好よかったのでアイドル的人気もあったけど、顔に似合わず薬物に手を出して治療に専念していた時期もあったそうです。その後、心筋炎という病気で1988年30歳という若さでこの世を去ったのですが、亡くなる直前ビージーズに彼が加わることが決まっていたそうなのですが叶えられなかった...という話は僕も後で知りました。「Shadow Dancing」は、ディスコ・トラックなので僕もクラシックスとして小さなクラブなどで時々DJでかけている名曲です。


[B-52's]
このバンドのことを初めて知ったのが、1979年オーディオ・メーカーのパイオニア発行のフリーペーパーで「さあ、そろそろ僕達も'80年代へ向けて音楽感覚を養おう。新しい音楽の世界へ、案内人は音楽人間渋谷陽一...」という見出しの記事でした。映像として初めて見たのは同じ頃PARCOのTVコマーシャルにB-52'sが出演した映像でした。そして、NHK-FMのラジオで「Planet Claire (惑星クレア)」という曲を初めて聴いたとき「これがシンセサイザー・ミュージックなんだ。」と僕は興奮しました。シンセサイザーという楽器の格好よさを最初に体験したのはJapanのRichard Barbieriの演奏で、このB-52'sやGary Numanがその直後、更にその少し後になってYMOやCarsを聴くようになったという感じです。当時アナログ・シンセは何十万?百何十万円というのが相場で、ROLANDのJUPITER-8なんて980,000円でした。子供ながらにとにかくシンセサイザーを触りたかった僕は、デパートの楽器売場に置いてあったアナログ・シンセでB-52'sの「Planet Claire」をヘッドホンなしで30分くらいも演奏していたのを覚えています。迷惑な話ですが、注意はされませんでした。この「Planet Claire」のイントロのモールス信号音はPink Floydで、「Rock Robster」はオノ・ヨーコから影響受けていたということは、中学生の頃の僕には知る由もありませんでした。
 

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[China Crisis]
PILが1978年結成というのはわかるのだけども、China Crisisが翌年1979年に既に結成されていたと知って、そんなに早くからいたんだと驚かされる。「Flowers of Romance」(1981) でPILを初めて聴いたのが中学生、「Working with Fire and Steel」(1983) でChina Crisisを初めて聴いたのが高校生の頃。いずれも70年代後期に結成されていたグループだけど、China Crisisの方はPILよりもはるかに遅くに知った。10代の頃の2、3年の感覚はわりと大きいから少し不思議な感じもする。CureやPulpが1978年結成という話も同様、そんなに昔からいたんだと驚かされる。それで本題のChina Crisis、もうとにかく大好きで、僕が高校生の頃にセンチメンタルで美しい音楽に目覚めたのはPale Fountainsの「Pacific Street」とChina Crisis の「Working with Fire and Steel」がきっかけでした。どちらもVirgin Recordsのグループで、この2枚のアルバムも1983-1984年とほぼ同時期。両バンドはエレクトロニクスを多用したかしていないかの違いはあれど、僕にとっては何か共通する近い感覚もあった。そして次のサードアルバム「Flaunt the Imperfection」では、Steely DanのWalter Beckerプロデュースということで当時意表を突かれた。でも聴いてみたらこれが絶妙でちょっとAORっぽくもあってよいアルバムでした。


[Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick & Tich]
1966年デビューのイギリスのグループ。メンバーの名前を連ねただけのバンド名が長過ぎて、日本ではデイヴ・ディー・グループと呼ばれていました。このくらいの知名度のバンドを知る手段としては、当時の僕の環境ではもうラジオしかありませんでした。というのでNHK-FMのクロスオーバー・イレブンの60's特集で初めて聴いた記憶があります。「The Legend Of Xanadu (キサナドゥの伝説)」「Zabadak!」「Bend It」などが特に有名で、複数の打楽器やギター以外の多種類に及ぶ弦楽器、他にも様々な楽器を多用していて、とにかく演奏技術の素晴らしいバンドでした。こういったバンドは高度過ぎて誰も真似できないというか、他に同類のバンドがいなかったように思います。Status Quo, Move, Small Faces, そしてこのDave Dee...などといったバンドは、アメリカでは余り人気がなくて、ビルボードに入ったとしても最高位で50位とか100位くらいだったそうです。タランティーノの映画「デス・プルーフ」の中で、正面衝突でクラッシュする寸前に車の中で聞いていた曲が「Hold Tight」で、役の女性たちの会話で「もしフーのピート・タウンゼントが脱退してこのバンドに加入していたら、Dave Dee, Dozy, Beaky, Mick, Tich & Peteって名前になった」なんていうセリフがあったりもしました。
 

[Eyeless In Gaza]
このグループは本当に沢山のアルバムをリリースしていて、5枚目のアルバム「Rust Red September」の中の「New Risen」みたいな美しくポップな曲から、「Pale Hands I Loved So Well」のような現代音楽のようなアルバムまで本当に様々です。僕は数枚しか持っていません。ついこの間「Pale Hands-」のアルバムをディスクユニオンで中古で買って聴いていたのですが、なぜここまで暗い?(特にB面)。でもこのアルバムを聴いていたら後のDeath In JuneやTeenage Filmstarsなどももしかして影響受けているのかなーなどと、あくまで僕の想像だけど思ったりもしました。ニューウェイブの音楽の形容として所謂暗い音楽はたくさんあるが、とにかく暗いというのが感想です。それでも好きなんですけどね。あとEyeless In Gazaのアルバム・ジャケットは本当にどれも美しいものものばかりです。「Pale Hands-」のジャケットは、何ていうのか木の精霊というかとてもいい写真です。
 

[Franck Pourcel]
フランスのイージー・リスニングの演奏家、指揮者です。フランク・プゥルセル楽団として、70年代後期の彼らの楽曲は日本で多くのラジオ、テレビ番組のテーマ曲に使われていました。その頃の時代の音がとにかくディスコ全盛だったので、ストーンズの「ミス・ユー」もこのフランク・プゥルセルもこの頃少しディスコティック寄りのサウンドでした。僕の記憶にある曲でも「イージー・カム、イージー・ゴー」(NHK-FM全国放送「朝のポップス」)、「エミリーの瞳」(NHK-FM大分放送「FMリクエストアワー」) など今でもよく覚えていて。特に有名だった「ミスター・ロンリー」のカバーは「JET STREAM」というラジオ番組のテーマ曲に使われとても有名でした。イージー・リスニングは僕が主に聴いていた音楽の中心からは少しかけ離れていたのだけど、90年代にとある番組で彼らの曲が流れていて、懐かしくなってレコードを買いたかったのですが、実は長年フランク・プゥルセルという名前も曲名も知らずに来たもので、手がかりがありませんでした。そんな中近年のYoutubeの出現で、どこかの知らない人がYoutubeにその曲をアップしていて、僕のしつこいまでの検索ワードの配列替えでそれが検索に引っかかってくれたんです。70年代の終わりからずっと好きだった曲なのに、その音楽のことを何も知らない僕もどうかと思いますが、執念以外の何物でもないという感じでした。皆さんも誰の曲だかわからないけど、記憶にあるメロディーなんていうのはあるのでしょうか?
 

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[Glenn Gould]
少し前のブログでも書きましたが、僕はバロック音楽が本当に好きなようです。ただバロックと出会うきっかけが全くなく、どんな音楽かということをずっと知らずに過してきたので、出会うのが遅かったというか。好きになった今ではiTunesのラジオでバロックのチャンネルも聴いたりして、画面に曲目情報が出てくるので、それを元に誰の曲かを調べたりと日々学んでます。バロック音楽にまるで無知な僕にはとても助かる機能です。そしてこの曲何だろうと気になる曲がかなり高い確率でバッハの曲であることに気づきました。予備知識がない分、先入観もないのである意味本当にバッハのことが好きなんだなということになります。バッハを更に好きになるきっかけになったのが、数年前に放送されたNHKのグレン・グールドの特集番組だったというわけです。知識が浅はかなので余り色々と書けないのですが、このグレン・グールドの曲を聴いてバッハのことが増々好きになりました。グレン・グールドはコロンビアレコードから米国デビューして、ファーストアルバム「バッハ: ゴールドベルク変奏曲」は、チャート1位を獲得したとのことです。当時ヴォーグ誌なんかもグールドを賞賛したらしい。何だかバッハのことばかり書いてしまいました。
 

[Hajime Tachibana (立花ハジメ)]
Art of Noiseのデビュー12インチシングル「Beat Box」とファースト・アルバム「Into Battle」がリリースされたのが1983年。そして立花ハジメのアルバム「テッキー君とキップルちゃん」が、YMOと同じアルファ・レコードからリリースされたのが1984年。当時高校生の僕にはどちらのアルバムもかなりの強い衝撃でした。Art of Noiseの「Beat Box」と立花ハジメの「レプリカントJB」はテンポは違うのだけどビートが似ていて「ドンダッ、ドンドンダッ、ドンドンダッダ、ドダン、ダッダッ」というあのビートが当時トレンドになっていくんじゃないかと思ったりもしましたが、特にそんなには流行りませんでした(笑)。「テッキー君とキップルちゃん」以降も「太陽さん」(1985年),「Beauty & Happy」(1987年) とどっぷりはまってしまいました。彼は音楽、グラフィック・デザイン、ビデオ映像と何でもこなし、ルックスもかっこいいし、歌ってみると少しThe ClashのMick Jonesっぽいところも好きです。


[If?]
Sean Mclusky、Paul WellsらによるIf?。Seanは1980年代にJo Boxersのドラマーとして、2000年代には1234 Recordsのレーベルオーナーとしても知られています。If?の頃はというと、彼はマーク・ウィガンと共に「The Brain」というクラブをロンドンのソーホーで経営していました。僕も1度だけ行ったことがあります。The Brainでは、Norman Cook, Orbital, Leftfield, Billy Nasty, Moby, Graeme Park, Andrew Weatherall, A Guy Called Gerald...と豪華なDJ陣が名を連ねていたそうです。マーク・ウィガンと言えば1990年頃、西麻布のPピカソの内装にペイントしたり、デプト・ストアではペイントTシャツが売られてたりと、当時東京とのかかわりもあったようです。そんなIf?のシングル「Saturdays Angels」は115BPMくらいのインディ・ロック風の男性ボーカルのダンスチューン。僕はシングル2枚しか持っていないのですが、この曲は本当に大好きです。


[Japan]
アルバムデビューは1978年、僕が12才の頃です。日本のシングル・チャートではトップ5入りし、初来日でいきなりの武道館公演という爆発的な人気でした。初期はグラム、ポスト・パンク、レゲエ、ダブの要素もあり、サード辺りからRoxy Musicの影響やディスコティックなサウンドに、4枚目のアルバムでは坂本龍一が参加、5作目は中国や日本の能のような古典音楽の影響を受けたアジア・テイストなサウンドを取り入れたりと常に変化し続けていった。退廃的なサウンドと裏腹にそのルックスゆえにデビュー当時から日本ではアイドル的人気もあったJapan。僕も例外ではなく部屋にポスターを貼っていました。英国ではなかなかヒットが出ず、Virgin Recordsへ移籍した中後期辺りからようやく人気が出始め、解散直前「Ghosts」というシングルでようやくヒットに恵まれたということです。初期と後期ではDavid Sylvianの歌唱法も違っていたり、ギタリストのRob Deanが脱退したりでサウンドに違いはあるけど、僕は全アルバム同じように好きです。デビューから解散までリアルタイムで聴き続けたグループはJapanが初めてでした。シンセサイザーという楽器の魅力がどういうものかということを知ったのもこのJapanのRichard Barbieriが初めてでした。雑誌のグラビアなんかでRichard Barbieriが演奏しているProphet 5, Micromoog, Emulator Emax HD, Oberheim OBX -A...なんかの写真を見ては「こんなの高価過ぎて買えるわけがない」と中学生の僕は溜め息をついて、結局エレキギターを買いました。


[Kissy Sell Out]
Kissy Sell OutことThomas Bisdee、1984生まれ。僕が今一番好きなDJです。イギリスのBBCラジオ1では毎週金曜日0:00-2:00 (いい時間帯) にDJを勤めている。そのショウはインターネット経由のiPlayerで聴けます。KissyはElectroベースでSpeed Garageや幅広いBPMの選曲が特徴で自由でとてもユニークです。番組の中ではKissy Klub Versionsという彼の手によってエディットされたアンオフィシャルなリミックスも毎週飛び出してきます。Without you/Nilson, It Never Rains In Southern California/Albert Hammond, Don't tell me/Blancmange, Friday I'm In Love/Cureなどのポップソングから、ブルーグラスやカントリー、バロック音楽までをもエレクトロアレンジでリミックスしたり、独特なスタイルです。
 

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[The Legend]
Creation Recordsの記念すべき1枚目にリリースされたレコード。それがこのThe Legend!の「'73 in '83」という曲でした。1983年当時僕はLegendというバンドもCreation Recordsというレーベルも知りませんでした。The Legend!の存在を知ったのは90年代になってからです。このバンドがどんなにコケにされようとも僕は大好きです。
「'73 in '83」The Legend! (Creation Records/CRE001/1983)
「Destroys The Blues」The Legend! (Creation Records/CRE010/1984)
「Arrogant Bastards」というヴォーカル+エレキギターだけの曲もかなりかっこいいです。


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[Mirwais & Madonna]
フランスを拠点にするプロデューサー、ソングライターで、Madonnaの「Music」(2000年) と「American Life」(2003年) の2枚のアルバムのプロデューサーとして一躍有名になった人です。1960年生まれで現在51才のMirwais Ahmadzaïは「Music」の仕事の頃、39才だった計算になります。それはよいとして、当時Madonnaがこんなことを言っています。(以下引用)「Mirwaisは4曲入りのデモをMaverick (Madonnaがリリースしているレーベル) に送ってきて、それを聴いていっぺんにはまっちゃった。2週間後2人は同じスタジオに入っていたわ。」とのこと。MirwaisとMadonnaは「Don't Tell Me」で同じみのフォークギター+エレクトロニクスといった手法の曲を1枚のアルバムの中に1曲ではなく何曲も制作しそれを収録して。それはそれまでのMadonnaサウンドとは明らかに違った新境地でとても実験的なアレンジだと僕は思いました。「Don't Tell Me」はフォークギターのアルペジオ・ループのオーディオデータを一度ハサミで切って、余韻の残響音的な部分はミュートしたように切り捨ててしまっている。結果まるでCDがプレイヤーで上手く読み込めずエラーを起こして音飛びしているようなそんな風に聴こえる。エレクトロニカでアコースティックでアヴァンギャルドでちょっぴりセンチメンタルな、こんなアルバムを1枚ではなく2枚も作り上げたという。そんなMadonna(当時42才頃)とMirwais(当時40才頃)のコンビで作られたこの2枚のアルバムに僕はかなりの影響を受けました。ちなみに僕が影響を受けた3大プロデューサーは、80年代のTrevor Horn、90年代のEdward Ball、そして2000年代のMirwaisということになります。彼の奇抜でユニークなアイデアは未だ誰も追従するミュージシャンは現れずといった感じです。

DJ Duck Rock

1990年代初頭ナイトクラブでのDJをスタート。DJセットでは、ハウス、ブレイクビーツ、エレクトロとその時代の最新のエレクトリック・ミュージックを軸に、時に60〜90年代のモンド、ロック、ニュー・ウェイヴ、インディーなどの音楽をアクセントとしてミックス。BPMや質感の異なるそれらの多様な音楽の組み合わせ、DJミックスさせていくそのスタイルは、現在も変わらずジャンルの違和感を越えユーモアに溢れている。1999年以降、現在のDuck Rockに名義を改め、DJにとどまらずリミックスやプロダクションも本格的にスタート。Jon Spencer Blues Explosion,Space Cowboy, Polysics, Tokyo Sluts, Ramrider, Digiki,Detroit7他からのオファーを受け、数々のリミックス作品を手掛けオフィシャル・リリースされてきた。2002年にはKSRよりMixCD'Sound Republic Vol.2 Mixed by Duck Rock' (KCCD-092)を発売。その後も複数のコンピレーションに参加を重ね、現在もリミックス等のプロダクションとDJとで平衡して活動している。
http://soundcloud.com/duckrockremixes
http://www.mixcloud.com/djmixduckrock/
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