
こんにちはDJ Q'HEYです。
前回は日本のテクノシーンとボクのDJとして急成長について書きました。
1996年頃は、どんなパーティーでプレイしても最高のパフォーマンスが出来たものでした。

こんにちはDJ Q'HEYです。
前回は日本のテクノシーンとボクのDJとして急成長について書きました。
1996年頃は、どんなパーティーでプレイしても最高のパフォーマンスが出来たものでした。
その頃雑誌などではこんな質問をよく受けました。
質問「今までで最高のイベントはどれでしたか?」
回答「先週末のやつ。でも今週末のがそれを超えると思う」
これ、カッコつけてるのでも何でもないんです。
ホントに毎回やる度にそれが最高のギグでした。
そりゃそうですよ。
3〜4年前までは、目の前のフロアには20人くらいしかいないこともありました。それが今や1,000人を超えることも珍しくありません。
新宿AUTOMATIXでスタートさせたボクのパーティー「MOON AGE」も新宿LIQUID ROOMで開催するようになりました。
さらには台湾でも「MOON AGE in TAIPEI」を開催するようになり、初回は4,000人の動員を記録。
今の若手DJで、こんな短い期間でこれだけ劇的な変化を体感した人っていますかね?
単純に数字の話だけではありません。
小さいハコでプレイすることももちろんありますが、常にしっかりした手応えがあって、必ず満足のいくプレイができました。
「今日はダメだったな...」っていう日が無かったんです。
CLUB VENUS presents MIX-UP NIGHT @ 恵比寿ガーデンホール
そんな中、恵比寿ガーデンホールで「CLUB VENUS presents MIX-UP NIGHT」というイベントが開催されました。確か1997年のことです。
その頃新宿LIQUID ROOMを超えるキャパを持つ恵比寿ガーデンホールを会場として使用するイベントが少しずつ出てきました。
このCLUB VENUS presents MIX-UP NIGHTは、さらに下の階にある恵比寿ガーデンルームも同時に使って大規模に開催されるほとんど最初のイベントだったと思います。出演はDerrick May、Jeff Mills、Fumiya Tanaka、そしてボク。ガーデンルームの方はYo*CやShinkawaとかだったと思います。当時としては夢のような組み合わせで、大きな会場は超満員。3,000人超。ボクにとってもこれまでで一番大きな舞台でした。
ボクは一番手でのプレイでしたが、会場のセッティングに時間がかかったようで待機状態。これまで同会場でやってきたのと違い、よりフロアを広くするようなステージングで、舞台やステージ担当の方々も少し苦戦した模様でした。リハーサルの時間はナシ。
セッティングが終わったところで開場して、取り敢えず外で長時間並んでいるお客さんに入場していただく。
音はBGMとして適当なCDを小さくかけてるだけ。
あっという間に満杯になるフロア。既に2,000人くらいいるかも。
そんな状況でBGMを切って、ボクは静寂の中ブースに立ち上がり、DJスタート。
どっと沸くフロア。
よっしゃ!と気合いが入ります。
プレイ前にPAから申し訳なさそうに「やり辛いと思うよ...」という言葉をかけられたけど、全く意に解さず...
しかし試練は既に2曲目を繋ごうとした時から始まりました。
全くモニタリングができないんですよ。
会場が大きすぎて、こもった低音と乱反射した高音がそれぞれ時間差で会場の端に位置するブース内に飛び込んできます。しかしブースモニターの出力は全く足らず。どこにタイミングを合わせたらいいのかさっぱりわかりません。最初は合わせたつもりのテンポがミックスしだすとその音自体が外から遅れて入ってくるので、ズレているように聞こえて慌てて直そうとすると、逆にどんどんズレていったりとか。
そこからプレイ終了までまさに地獄。
次にプレイするフミヤがブースに入ってきたので「もう代わろう」と言ったところ、まだどうぞどうぞとばかりに手を振るので、「いや、もうできないから代わってと」と頼むザマに。
過去最高の大舞台で、過去最悪のプレイでした。
プレイ終了後、バックステージで「オレすごいDJヘタになった...もう辞めた方がいいんだと思う...」と友人達にこぼしていました。
後で聞いた話ですが、その後のDJも全員苦戦していた模様でした。
フミヤやDerrickもロングミックス出来ずにカットインを多用したり、Jeffもいつものようなキレがなかったとのことでした。
でもボクはそんなの見ている余裕もなく、ただひたすらうなだれているだけでした。
ネットでの酷評
イベントが終了して数日して、ある友人から「こんな事書いてるサイトありますよ」というメールが来ました。
それはこのイベントに行った人の書いたパーティーレポートのようなものでした。
書かれていたのはボクに対する酷評。
「この人、初めて聞いたけど、悪いこと言わないからテクノのDJを続けるのだけは諦めた方がいいと思う」
といった内容のもの。その頃2ちゃんねるもなく、掲示板はあったけどハンドルネームを使うなどある程度記名的に書かれていて、匿名で誹謗中傷という風潮が全く無い時代でした。誹謗中傷がないということは、打たれる事に対する免疫もありません。そしてホームページ自体もさほど多くないので、ちょっと書かれたことがすごく目立つ頃でした。
もうそれを見て、そのページを何度も凝視するようにして読み直して、「やっぱりオレってDJの才能ないんだ...」と数日落ち込んだものでした。
「DJはもう辞めよう...」と初めて思った時でした。
これがボクが最初に味わった挫折。
それから
そうは言っていても、次のギグはやってきます。
すっかり自信を無くした状態でした。
ハコに行ってもあんなヘボいプレイをするボクのDJを待ってる人なんか誰もいないって思ってました。
あの記事を書いた人だけじゃなく、多くの人がボクはDJを辞めた方がいいと思ってると...
でもそれは間違っていました。
そこにはボクを暖かく迎えてくれる人がたくさんいて、熱いコールを送ってくれました。
そしてこれまで通り、いや、いつも以上に大きな勇気をオーディエンスからもらうことができました。
涙が出そうでした。
やっぱり続けていこう。
最高の瞬間はこれからだってある。
辞めるのはいつだって出来る。
でも辞めたらそれで終わり。
キャリアの重要性
いろいろ辛い事も経験するからこそキャリアに繋がり、それが実力にもなると思います。
たまに若手DJに「この先どうすればいいですか?」と質問されることがあります。
そこでボクが必ずするアドバイスは「何があっても辞めないこと」です。
DJにとって一番大切なのはキャリアだと思います。
レコード(またはCD・ファイル等)をかけるだけという、一見誰にでもできるシンプルな作業だからこそ、その人の個性やバックグラウンドが滲み出てくると思うんです。
人間に深みが無いと深いプレイはできないでしょう。
例えば、選曲の中に突拍子もないものを混ぜたとします。
キャリアのあるDJがそれをやると「お、今日は意外性のあるプレイするな」と受け取られます。
キャリアの無いDJがそれをやると「なんかチグハグなDJだな」と思われます。
このキャリアを身につけるには、場数を踏む、そして諦めないこと。
ボクも先述の挫折の後にも「辞めようかな」と思ったことはありました。
でも辞めなくて本当に良かったです。
今もテクノシーンの一線でプレイできているし、そこから今後退くことになっても、小さなハコででも続けていきたいですね。
これまで応援してくれた方々には感謝の気持ちで一杯です。
もう20年も続けていると、オーディエンスは何度も世代交代しています。
だから常に新しい人達に受け入れられていることになりますね。
みなさんから受け取った力をバネにして、これからもがんばっていきたいと思います!

写真は2009年オランダ・アムステルダムでのパーティー「Awakenings」にて

「MOON AGE RECORDINGS」主宰。東京でハードテクノの代名詞的存在とも言えるパーティー「REBOOT」、新木場ageHaにおいてレーベルパーティー「MOON AGE」をオーガナイズ。1989年よりDJ活動を開始して以降、日本のテクノシーンをリードする存在として常に最前線で活躍。国内最大級野外フェスティバル「METAMORPHOSE」に毎回出演を果たし、アジア、ヨーロッパ諸国でプレイする機会も多い。1995年から楽曲のリリースを開始し、2006年アルバム Q'HEY + REBOOT 「ELECTRIC EYE ON ME」をリリース、全国ツアーを開催。ミックスCDにおいては「SOUND REPUBLIC」「REBOOT #001」(共にKSR)「NYSO VOL.1:DJ Q'HEY」(YENZO MUSIC)の3枚を発表している。
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