デス・コメット・クルー

2013年5月15日 14:45


今回で15回目となるこのブログ連載も暫く休止になるという事なので今迄温存してきたデス・コメット・クルー(以下DCC)について書く事にした。DCCは、80年代から私が参加しているバンドでご存知の方は今更かと思うかも知れないが改めて記憶をたどって細かく書いてみた。グループ名、機材名等の固有名詞が多いのでわかりにくい箇所もあるかと思うがぜひ読んで頂ければと思う。

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ANTI NY (GOMMA 2001)

DCCは、84年に『ドミナトリックス・スリープス・トゥナイト』というエレクトロのヒット曲を作ったステュワート・アーガブライトが中心となってニューヨーク(以下NY)で結成されたインダストリアル系のグループである。ヒップホップの映画『ワイルドスタイル』(1982年製作)に出演したオールドスクールのラッパーでグラフィティーライターでもあるラメルジーをフィーチャーした85年発表の12インチシングル『アット・ザ・マーブルバー』(英:ベガーズ・バンクエット)が当時、英国の音楽誌NMEのクラブチャートで1位になる。2001年には、80年代NYのレア音源を集めたアルバム『アンチNY』(独:ゴーマ)に収録された事によって日本でも話題になり2005年には、結成20年目にして初来日を果たした。


Death Comet Crew 'At The Marble Bar'(Beggars Banquet 1985)


Death Comet Crew 'Exterior Street' (Beggars Banquet 1985)

私がDCCに参加する経緯は、NYに移住して約2年後の83年にまだ荒れ果てていたパンクス達のたむろするセントマークス・ストリートの路上でグレッグというキューバ人の男からヴィンテージのトラピカルデコ調アロハシャツを買った時に私が持っていた日本製のカメラの話しから音楽談義で盛り上がり意気投合してメガロマニアというユニットを組む事から始まる。グレッグはトライベッカ(ウエストサイドダウンタウンの地域名)の大きなロフトに住んでいて私の所有していたタスカムの4トラックのカセットレコーダー(当時は、約$1,500と高額)やカシオトーン等の機材を持ち込み数曲のデモが出来たのでプロデューサーを入れて売り込もうという話になった。グレッグがベルリンから知り合いで凄いやつが戻って来たので彼に頼もうという事になり出会ったのがステュワートであった。彼は、70年代後半にワシントンDCからNYに上京、フュータンズというパンクバンドを結成しCBGB等でライブをやっていた。対バンは、映画監督ジム・ジャーマッシュ(キーボード担当)のバンドだったというから驚きだ。その後ベルリンの音楽シーンが盛り上がっていた事もあり移住しアシュ・ラ・テンペル(独プログレバンド)のマニュエル・ゲッチングの家に泊まっていたとの事で機材の詳細は、不明だがリビングルームにシンセサイザーのシステムがセットしてあり毎朝ゲッチングがシークエンサー(自動演奏装置)のスタートボタンを押して一日が始まると言うのだから贅沢だ。年代から推測するにこのシステムにて後にテクノのルーツと評価されるゲッチングの『E2-E4』(84年発表)が制作されたと思われる。同時期にステュワートは、ドイツのニューウェイブバンドのリエゾン・デンジャラスやマラリアとも交流がありラメルジーともベルリンで出会っている。

そんなステュワートをメガロマニアのプロデューサーに迎え小規模だがオタリの8トラックテープレコーダーとオーバーハイムのポリシンセ装備のスタジオでジャーマンテクノ風トラック1曲を録音。そして現在は、ヒップホップで有名になったクイーンズにあるパワープレイというスタジオでラップ入りのヒップホップを1曲録音する。楽曲は、ニューウェイブにキューバ&ジャパニーズフレバーが加味されたもので大変ユニークであったがリリースには至らず。メガロマニアは、自然消滅する。その後ステュワートは、バウワウワウのプロデュースも手がけたアイバン・アイバン、PILと関連のあるカウボーイ・インターナショナルのケン・ロッキーとスマッシュヒットとなった『ドミナトリックス・スリープス・トゥナイト』を発表する。パラダイス・ガラージで開催されたNMS(ニュー・ミュージック・セミナー)1回目のゲストは、ドミナトリックスとDAFそして会場の音楽担当は、ラリー・レヴァンだというからその人気の高さがうかがえる。

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The Dominatrix Sleeps Tonight (Street Wise 1984)


NYのMOMAに永久保存されたが、MTV放送禁止となった作品。

ある晩ステュワートから今からピラミッドでライブをやるから手伝ってくれという電話が入る。なんとも急な要請だが話しを聞くとベルリンで交流のあったアインシュテュルツェンデ・ノイバウテン(金属の廃材をパーカッションとして叩いて話題となったドイツのグループ)のヴォーカリスト、ブリクサとライヴセッションをやる予定だったがブリクサの都合が悪くなりメンバーが足りないので是非来てくれと誘われたのがDCCの始まりである。ピラミッドは、アヴェニューAにあったドラッグ・クィーンやゲイ的な雰囲気が強いクラブで、前回のブログで紹介したル・ポールもここで活動していた。その晩のライブは、全て即興演奏でドミナトリックのアイバン・アイバンがDJでブレイクビーツを繋ぎその上にステュワートがシモンズドラムを叩きアイクヤードのマイケル・ディークマンがギターを弾き私は、ステージ上でデジタルディレイを使ってダブ的なミックスとサンプル機能を使用したエフェクトミックスを担当した。荒々しくカオスな演奏がオーディエンスに大好評で3ヶ月後にもう一度ピラミッドで演奏する事になる。2回目は、ジャン=ミシェル・バスキアやヴィンセント・ギャロも在籍していたバンド、グレイのハイプリーストにDJを頼んだ。ハイプリーストはNY・シティブレイカーズのメンバーであり白人で初めてスクラッチをした人物と言われている。この時点でバンド名は、DCCではなくアリーナ・セックス・デスであった。当時すでにキャバレー・ボルテールもヒップホップの要素を取り入れていたしアフリカ・バンバータもクラフトワークの影響でテクノへのアプローチはしていたがヒップホップ本場のNYで実際のライブにDJを導入し過激なノイズとの融合させたセッションは、大変珍しかった。このセッションは、カセットに録音されており2005年にデリックレコードから発売されたCD収録されている。

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Death Comet Crew - This is riphop (Delic Records 2005)

残念ながら音源は、残されていないが翌年ラメルジーがベルリンから戻りグループ名もデス・スター・クルーに改めライブを行った。会場のダンステリアは、ミッドタウンにあったニューウェイブ系のクラブでメインフロアにラウンジや屋上と4フロア構成の大箱でありマドンナやDJのマークカミンズのキャリアがここからスタートした事でも有名である。DJは、再びハイプリースト、ラップは、ラメルジーとフェイズ2の参加、ステージ上では、ダンサーがロボットダンスとよりヒップホップ色の強いライブとなった。楽屋にブロンクスから来たギャングスター風の連中もいてステュワートのラジカセが盗まれたりと緊迫した雰囲気もあった。バスキアやラメルジーといった一部のアーティスト以外は、黒人と白人の間に温度差があり文化的にもクロスしてなかったように感じられた。

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DCC Live at Danceteria 1984 Phase2 and DJ High Priest
Photo by Noyuri Tokiwa

このライブから間もなくしてドミナトリックスのプロデューサーであるケン・ロッキーを迎えて新曲を録音する事になった。スタジオは、当時エレクロ・ヒップホップ御用達のユニークだ。SSLのミキシングボードに2インチ24トラックレコーダー、レキシコンのアウトボードにリンドラム、イミュレータと今でこそパソコン1台で事は足りるが当時は、夢の様なシステムであった。(YMOとかであれば普通に使っていた機材ではあるが)ゲストラップは、ラメルジーだ。プロセスは、よく覚えていないが事前に私の家でケン・ロッキーが仕込んだリンドラムを24チャンネルのマルチレコーダーに録音した後ベースやキーボード、テープエフェクト等を多重録音していきミックスダウンという感じであった。キーボードは、当時デジタルFM音源が絶大な人気を呼んでいたDX7を3人組シンセバンドで活躍していたアウア・ドーターズ・ウエディングのスコット・サイモンが手引きでオーバーダブしていた。レコードで聴けるマカロニウエスタン調のハーモニカは、DX7のサウンドである。感動的なのはエンジニアのスティーヴ・ペックによるミックスダウンした1/4インチテープをスプライシングして異なるバージョンを作っていく作業だ。日本の放送局でも同等の作業は行われていた事だがこのエディットによってショートバージョン等に編集されて行く様を目の当たりにして魅せられた。現在は、iPadでも出来る作業であろうが一部のエディットマニアにこの職人技は、伝承されている。

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Death Comet Crew - At The Marble Bar (Beggars Banquet 1985)

リリースは、バウハウス(UKロックグループ)等で有名なイギリスのベガーズバンクエットからでNYのレコード店や六本木のWAVEにも輸入されていた。当時CGを使用したレコードは珍しく、ジャケ買いした人も結構いたようである。CGを担当したアンバー・デッカーという女性は、後にクラフトワークのジャケットデザインにも関っているとの事である。グループ名は、クレーム対象になると弁護士からの指示でデス・コメット・クルーに改められた。

発売後ラメルジーをゲストに迎えライブを再びダンステリアで行った。既にDCCは、ヒップホップからロックモードに移行しておりDJは不在でドラムスは、オーバーハイムのリズムボックスにギター、ベースというバンドスタイルでおそらくワイルドスタイルのラメルジーを崇拝する輩には、あまり好まれない演奏形態であったろう。当人のラメルジーは、ロックも大好きで以前より私の演奏には、一目おいてくれておりノリノリで歌ってくれた。デリックレコードからリリースされたCDのジャケット写真は、このギグの時の楽屋でのものである。

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DCC Live at Danceteria 1985
Stuart Argabright,RAMMELLZEE & Shin Shimokawa
Photo by Noyuri Tokiwa

そんな彼とはその後、NYでブラックレインのライブ、代官山ユニット、フランスでのDCCのライブを行うが2010年に病にて亡くなってしまった。虫の知らせか彼が亡くなる前日に無性にDCCやDJケンセイと作ったトラックが聴きたくなりレコード棚の奥から引っぱりだしていた。ラメルジーがNYの私のアパートで行った録音の事とかDCCのフランスでのギグ等まだ話しは尽きないが続きは、このブログが再開してからにさせて頂くとしよう。NY滞在中にDCCという素晴らしいバンドに参加できラメルジーという素晴らしいアーティストと活動できた事を誇りに思っている。

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Shin Shimokawa

1980年から18年間ニューヨークに滞在。 ベーシストとしてラメルジー(映画ワイルド・スタイル)をフィーチャーしたノーウェイヴバンドDeath Comet Crew(デス・コメット・クルー、以下DCC)に参加する。またギターやプログラミング等にて数多くのプロジェクトに参加し映画サントラ制作等の活動も行う。 90年代にはミックス・マスター・モリス、ハーバート、マット・ブラック(コールド・カット)を招いてのマルチメディアイベント 『ネオテリック』(足利、新潟、タイ)にDJ/LIVEとして参加。 99年、グリーン・ベルベット、DBX等参加のレイブパーティICM(インディアナ、米)にてヘッドラインを務めドラムンベースのライブ演奏を行う。 2003年、20年ぶりに再結成したDCCのライブを、ニッテイング・ファクトリー(ニューヨーク)で行い好評を得る。 同年ラメルジーとDJ Kenseiのプロジェクトに参加。05年、代官山ユニットにてDCC初の来日ライブ(共演プラスチック・セックス/中西俊夫、野宮真貴他)、翌年にフランスにて開催されたエレクトロ系の大規模音楽イベント『ヌイブランシャ』にてライブを行う。現在は、吉祥寺チーキにてイベント『サイケトロニカ』開催、テクノ系のプロジェクトやダブ系ユニットのUri Duble Nation、DCCのスチュアート・アーガブライトとのインダストリアルユニット『ブラックレイン』等多くの活動を行っている。

主な参加音楽アルバム
『At The Marble Bar』Death Comet Crew(Beggars Banquet)『Don’t Step On Tiny』She Never Blinks (Captain Trip) 『Colloquium』 V.A. /Carlos Peron、Martin Rev(Dark Star)『Black Rain1.0』『Nanarchy』(Fifth Colvmn) 『Anti NY』V.A. (Gomma) 『This Is What You Mede Me』Rammellzee (Tri Eight) 『This Is Rip Hop』Death Comet Crew (Troubleman Unlimited / Delic Records ) 『Number Pieces 2』V.A(Delic Records) 『Now I ‘m Just A Number』Black Rain (Blackest Ever Black)

映画サントラ参加作品
『マリリンとアインシュタイン』(監督:ニコラス・ローグ)『フラート』(監督:ハル・ハートレイ、出演:長瀬正敏他)『JM』(原作:(監督:ロバート・ロンゴ、出演:キアヌ・リーブス他)

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