村上 隆
山田大補君。享年30歳。ステロタイププロダクト、ディレクター。
死因は心筋梗塞と言っていた。
物凄い仕事好きなやつで、きっと仕事し過ぎちゃったんじゃ無いか、と思う。
彼等を教えてくれたのはSHOP33の荒武さんだった。
まだ彼等のブランド名はアシュラファーストというテクノ系の服飾ブランド名だけだった。
ステロタイプがデヴューしはじめだった頃、大阪の山田君のスタジオまで仕事をお願いしに行った。ぼくもまだ駆け出しの33歳ぐらいで、彼等の斬新なデザインワークが欲しかった。ステロタイプは山田君と児玉健一君の2人でやってたデザインユニットだ。当時、彼等は22歳ぐらいだったか・・・。
小山登美夫ギャラリーという今や世界の小山ギャラリーとなってしまった画廊が、全然小さいし、有名でもなくてその会場であれこれイベントも含めたぼくの展覧会をやるってことで、威勢の良いデザインをしてもらった。その後続けざまに3〜4つの仕事を一緒にやってその後は音信不通にしていた。でも、関わった数カ月はクリエーター同士の本当に濃い時間を過ごした。
なんていうんだろう…デザインでも絵を描く時でも、正直、真剣勝負。真剣に生きる。で、山田君とはつばぜり合いをチャリチャリさせてその瞬間は本当に生きていた!と思える時間で、今こうして思い出しても全部際どい心理的な戦闘を思い出す。本当に「生きている」って、その時はわかんないんだけれど後で考えると「そう思える瞬間の事を言うんだ」、と思った。彼とはそんな時間を共有出来た。
その告別式に行った。会場に到着した時は、皆泣いてて、それを見て「え!泣く事ないじゃん。山田君クリエイターとして、こうして最後まで仕事全うしてきたわけだし。凄い幸せだよ!山田君、よかったね!」と心の中で思っていた。ぼくはなんだか晴れ晴れした気持ちになって来ていてにっこりしてしまっていた。
で、ぼくにとって、こうやってしのぎを削った戦友の始めての死に目と言う事には後で気がついた。告別式も進行して行き最後のお別れで彼の死に顔を見た。死に顔を見た瞬間わっ!と胸が破裂した。涙が流れてどうしようもなかった。彼と過ごした短かったけれど濃厚な時間がドヴァっと押し寄せて来た。真剣に生きたよな!きっとずっと真剣勝負、し続けて来たんだよな。相方の児玉君が棺桶の山田君の顔をじいっと見つめていた。児玉君の顔は本物の愛で満ちていた。ぼくにあんな顔が出来るのだろうか?
山田君は死んでも、物、造っていそうだ。永遠のさよならを言わなきゃならないのはギリギリと辛いんだけれど、でも、生きて来た真剣な時間に造った物は絶対に人々の胸に刻印されて行くよ!ぼくの眼球の裏の奥にも、しっかりとモニター上を凄いスピードでデザインを構築していっていた山田君の仕事ぶりとその作品の画像がプリントされてるよ。
ありがとう、山田君。
そしてステロタイプ!今後も頑張ろう!
クリエイターとして、山田君の残した精神に続いて行こうね!ぼくは続いて行きます。
御冥福をお祈り致します。
※この追悼文は昨年8月末に村上隆さんから頂いたもので、「カイカイキキ」ホームページにてご寄稿頂いたものを掲載させて頂きました。
http://www.kaikaikiki.co.jp/news/stereotype/