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実店舗の撤退から井の頭公園の花見で倒れて

何度となくこのブログ記事の中で触れて来たように、8年前の井の頭公園での花見の宴の最中に倒れ、健常者の日常から突然身体の不自由な人(いわゆる中途障がい者)になりました。

その前の00年代後半にはリーマンショックが起こり、世界は大変だなぁと呑気に構えていたところ、近くしてマンチェスターのブランド『GIO GOI』が倒産したと現地ロンドンのコーディネーターのカツラから突然連絡がありました。

当時、国内総代理店として当店の売上の半分以上を占めていたので、その知らせを聞いた時は正に血の気が引き、全身の毛が逆立つという経験を初めてしました。

GIO GIOのスポンサー(アイルランドの飲食チェーン大手と言ってました)がリーマンショックの流れで資金を引き揚げてしまい自分達で何とかしようと画策したが、欧米全土でリセッションが起こり、小売業や飲食業全体が悪化しているとのこと。

まさか世界的な出来事が自分の生活の根本に直接関わってくるとは思いもしませんでした。晴天の霹靂とはこの事だと思いました。

それから33は何とかダメージを最小化して生き残りの道を探りました。しかしあまりにも突然に主力ブランドを消失したダメージは大きく、実店舗からの撤退や店舗スタッフの解雇などやりたくない事を一気にやらざらえ無くなるストレスは相当なものでした。

私のような脳神経系の病気の原因は、お酒や喫煙の他偏った食生活など色々考えられますが、やはり当時いちばん大きくのし掛かって来た経営的なストレスが最も大きかったと思います。何故自分に突然この災難がやって来たのかと、やっとここ2〜3年で冷静になって考えられる様になりました。

14年の春、私の視床という脳のなかでもかなり首寄りの奥の場所から花見の席で突然出血。せっかく吉祥寺近隣からや、はるばる遠方から参加して来てくれた33のお客さんやサポーターに全く興醒めになってしまったことがいちばんに申し訳なく、更にスタッフの皆にはその後の後始末まで未だに返礼が出来ずにいることは残念なことであります。いつかなんらかのかたちでお返しが出来ればと思っています。

さて最初の2週間は急性期という入院期間で武蔵境にある日本赤十字病院という病院に入院しました。この期間に頭蓋骨の側面から穴を開けて管を通して破裂して溜まった血を抜く手術をしました。当然本人にはその記憶はありませんが、2年ぐらい開けた穴の箇所が疼いて気持ち悪かったです)は殆ど記憶が端々の断片しかなく、それも正しい本当に現実の世界だったかは自分でも怪しく、まるで映画『12モンキーズ』のワンシーンの様な建物の内装や医療用の白衣を着た人たちのイメージが重なったままです。未だに。

急性期エリアから程なく、回復期リハビリテーション入院エリアに移りましたが、ここからの半年間もそれまで50数年見て来た世界とは全く違う別世界でした。

私の様な脳神経系の病気の人達が集まる病棟はリアル『カッコーの巣の上で』の世界でした。

静かに寝て過ごしている人も当然いましたが、喋れなくなっている人(言語中枢損傷)や「痛い、痛い!」とずっと言っているのに、周りは平然として患者さん達も看護師さんも全く関心を示さないので、驚いて聞いてみたら「あれは本当は痛みは無いのに癖になって言っているだけだから」と言われました。

昼間は付き人が来てずっと院内を見廻り、夜は徘徊して目が合うと怒る恐い親仁さんがいました。でも凄く若い彼女さん(?)がよく面会に来ていて、看護師さんたちの扱いが悪いと(僕からは皆んな公平に扱っている様に見えましたが)ナースセンターにクレームを何度もきつく入れていました。何でも何処か近いとこの恐い組織の大親分だった人だそうです。そんな人でも当たり前ですが、病気は皆んなと同じ様に訪れます。結局、この人は数日でこの病院から他の病院に転院して行きました。この様な光景はもし健常者の時の自分がたまたま出くわしたとしても、そっとその場を立ち去ってあまり人にも話さないようにしたと思います。

でも気がつくと自分もその内の1人として、車椅子で看護師さんに付き添ってもらってトイレにも行くほどの痛々しい(客観的に見て本人は必死。 笑)状態で、痛み止め薬のせいか意識も蒙昧としていました。右半身は麻痺して力が入らず最初の頃は何が出来て何が出来無いかも良く分からず、禁止されていたにも関わらず1人でトイレに行き、転んで立とうと思ったら、立ち上がることがどうしても出来なくて、しばらくして誰か(多分、看護師さん)に叱られながら助けてもらったのは今となっては良い思い出です。

2か月が過ぎた頃「カンファレンス」という僕のリハビリから退院までに関わってくれる人たち、主治医、担当看護師、理学療法士、自分、33のノリ君などが集まって打ち合わせの日取りを決めなければと看護師に言われました。この手の病気の入院期間は大体、3か月というのが相場だそうで、とにかく国も病院もコストを削減する事が至上命令の時代で(2010年代前半の新自由主義全盛期)ベッドをどれだけ回転(患者をいかに沢山入れるか)させるかに頭を悩ませなければいけなかったそうです。今はどうなのかはついぞ知りません。

その頃はリハビリルームまで病室から車椅子で押してもらい、そこで壁のバー伝い立ち上がり10m程度杖無しで歩くのが精一杯の頃でこんなので、どうやって1人で生活出来るのかと思っていました。しかし、出ざる得ないと覚悟をしてた3か月頃に突然ソレは訪れました。

いつもの様にリハビリ室で歩行練習をしてた時いきなり雷の様な今迄、経験した事の無い痺れと激痛が走り、その場で動く事が出来なくなってしまったのです。担当療法士の人はやっぱり出ちゃったかと、とてもガッカリした様子でした。

視床痛という今に至っても最も自分を悩ませる症状が出てしまったのです。これは時に横断歩道を歩いていても、その場で立ちすくむ程の痛みが出るモノです。

特に親指の付け根が痛み、その痛む箇所を何とか無意識にするあまり、硬い革靴も変形して立ち方も変わり内側に曲がってしまいました。この症状は一生変わらないそうで、今はようやく自分にあった痛み止めの薬を飲んで何とか過ごしていますが、当初からの5〜6年目までは拷問(想像)に近い痛みがしばしば走り、部屋から出れずベッドで横になってる時に、こんなに痛いのが一生続くなら生きていてもしょうがないと考えた事はありました。

実際にウィキペディアをみるとこの症状で自殺する人も多いとありました。

しかし幸か不幸か、このアパートの大屋さんが隣りに住んでいて、本当に良い人で、このアパートで事故物件を作るのは絶対に出来なぁと思ったり、33まわり仲間の皆さんが色々と気にかけてくれ世話をしてくれたお陰で何とか立ち直り、リハビリと社会復帰を目指す事が出来ました。

だらだらと話して取り止めも無くなってしまいましたので、この先は次回に。

そんなの無かったりして…

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