『HOME PLANET』INTERVIEW

by next33 Blog
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吉祥寺の4階建てのビルの中2階にある『HOME PLANET』。カフェ・バーにギャラリー、ライブ&DJスペースに中古レコードや色んなアーティストの作品販売など多種多様なモノがうまく混ざりあって良くデザインされた複合型の飲食店兼小売店です。

何故、私が気に入っているかと言うと、80~90年代を中心に同じ吉祥寺で自分や当時の仲間たちでやっていた当店『サーティ・スリー(33)』と、とても同じ空気を感じるからです。33は飲食店では無かったので、バーカウンターやテーブルはありませんでした。1981年に貸レコード屋としてスタートして、80年代終わりには輸入レコードの新譜レンタルが1年間禁止となり、CDレンタルのみに変わったりしました。それで店の半分のスペースが空いたので、輸入雑貨やTシャツを中心にレンタルCDと小売りの業態に変容しました。当時は丁度RUN DMCやパブリック・エネミーなど音楽とファッションがリンクしたストリート・カルチャーが米国で流行り始めた時でした。それでこれらを買い付けて売ったらある程度ニーズはあるかなと。そんな流行を取り入れた店は原宿辺りに数える程しか無く、今まで吉祥寺エリアに限られていた顧客層から、全国からお客さんが来てもらえるようになりました。時を同じにして主に東京圏内の若いインディペンデントなスタイルで作られた洋服雑貨、絵画、雑誌などが持ち込まれ、委託販売も始めました。特に音楽や芸術の商品や作品はインターネットが無い時代、あるいはインターネット黎明期から始めたので、まだ世界はアナログというか物質社会(我が師George HarrisonのいうMaterial World)の一択。故に持ち込みもレコードから手焼きCD、カセットテープ、ビデオテープ、コピープリントの雑誌などさまざまな形態のパッケージの商品が並んでいました。インターネット初期の1995年以前、パーソナルコンピュータとしてMacが出ました。データを送る手段はフロッピーディスクやCD-ROM、MO-discなど多様にあり、今考えると面倒なことこの上無く、入れるデータに制限がありました。特にグラフィックや動画の作成にはとんでもない苦労がありました。途中で固まったりデータが飛んだり、レンダリングに半日かかってしまったり。それでも果敢に挑戦するアーティスト、例えば現代美術の中沢ヒデキ氏やグラフィック・デザイナーの松本弦人さんなどがフロッピーでの作品を持ち寄ってくれて、33にとっても明るい未来を予感させてくれました。そして自分たちもそれに触発されて『Acssece-Ary』という首に掛けられるフロッピーマガジンをシリーズ化して販売しました。中には前にインタビューさせて頂ただいていた佐藤大氏の小説(この短編は2023年の今から振り返っても個人的には素晴らしい作品だと思います)や、当時の若手イラストレーターの人々の作品が入っています。フロッピーのデータを再生出来るサービスも最近知ったので、近いうちにそれらを復元出来ればと思います。今から見ると当然レトロでチープなコンテンツだと思いますがそのあまりにも今とは違いすぎる容量の中でいかに軽くするかにかけた熱量だけは現代のロケット開発にも負けませんでした。いずれにしても何か未来にワクワクするある意味で素直な期待があったと思います。

しかしインターネットが本格的に普及する95年以降では時代の様相が色んな面で違っていきます。Apple やATARI、NECのPC−9801(余談ですが、店の壁のディスプレイとして埋め込んでいたブラウン管テレビで流していた33のロゴの動く映像もこれで作成。1980年代にブティックやショップで映像を流す店はほとんどなく画期的だったと思います)といったパソコンやゲームのマニアのものであったのが、Windows95が1995年に発売され、インターネットが急激に普及すると一般のビジネスや家庭や個人に行き渡りました。コンピュータ・カルチャーはサブカルチャーから一気にメイン・カルチャーに躍り出ました。パソコン小僧の時代は去り、ネットビジネスはビックビジネスに変容しました。

そうした時代の流れの中にあっても、33 1/3RPM(途中でshop33、next33に変更)には80年代、90年代、00年代前半まで変わらず吉祥寺近隣を中心とした美大生や漫画家やアニメーター、デザイナーが多く来てくれましたが、リーマンショクの後の2008年には家賃に見合う売り上げは見込めなくなったので実店舗を閉店してネット専業のショップに変わり、今ではこうして不定期にブログなどのコンテンツを上げる形態になっています。ただ、2014年に代表を今のノリ君に引き継いでもらい、私(当時53才)の2人を中心に色んな今までにサポートしてくれた人たちやこれから知り合う人たちを巻き込んだカフェやイベントスペース、今までの流れを汲んだショップスペースなどに果てはコインランドリー(笑)などを含めた複合型の実店舗をやろうと元の33けやきビルのような吉祥寺駅周辺徒歩5分圏内の貸店舗物件を探していましたが、中々こちらの予算に合う物件が見当たらず1~2年は覚悟してコツコツと内見を繰り返していました。そんな翌年の初春に気分を変えようと開いた井の頭公園の花見の席のお昼ごろに突然、頭に血が昇り(文字通り)血管が破れて車椅子で半年に及ぶリハビリ入院を強いられました。ただ慣れとは恐ろしいもので、あんなに薄口で田舎野菜的で苦手だった病院食も3ヶ月もすれば美味く思えて来て、朝6時に起きて夜9時には消灯という、今までの生活サイクルとは真逆のライフスタイルにどっぷりと浸かってしまいました。話がだいぶそれてしまいましたが、そんなぬるい生活も終わり退院してからの5~6年は殆ど後遺症の治療に費やしてしまいました。そんな時人づてに面白いお店が出来たと聞いて早速出向きました。

そこは同じ吉祥寺駅から歩いて5分ぐらいの圏内で若いミュージシャンを始めとした多くのクリエイターが集まってワイワイやっているところなどがとても当時の33に似ているのです。もちろんイベントの頻度などはとてもかないません。なんと言ってもSNSがあるのですから。昔はフライヤー制作から配布、扱ってくれそうな媒体(メディア)への告知、お店での来店してくれたお客さんへの声掛けなど都合3ヶ月程度見越して前倒しで計画しなければいけませんでした。

他にも扱っている商品(作品)にも同じことが言えます。例えば95年には通称『吉T』というTシャツを、映画『AKIRA』で作画監督を務めた森本晃司氏のデザインで当店と共同プロデュースでリリースしました。その彼の個展も四半世紀経ちこのHOME PLANETで2023.4.22-5.10の期間で開催されておりました。また当ウェブの殆んどの写真を担当してくれているフォトグラファー、KEI MURATA氏の写真展も過去に開催していたりしています。中古レコードやポストカードなどあるところも昔を彷彿させます。

それではそんなステキな場所を創り出してくれた、ジョージ君(通称)にインタビューさせてもらいました。

Q、吉祥寺という居場所に出店したのは何故ですか?

好きな場所に溢れていて居間のような場所なので、吉祥寺という選択は自然でした。

Q、いつオープンしたのですか。
 またそこに至るまでに何処で苦労しましたか。

2020年の11月にオープンしました。
もともと、イベントの企画制作や空間デザイン / グラフィックなどを生業としていたのですが、コロナで仕事が全て一旦飛んでしまったんです。
収入がゼロになって、どうしようと思っていながら目先が霧で見えない中を闇雲に走っていた思い出があります。
このお店を作ることに光を見ていたので苦労という感覚はなくひたすら走っていました。

Q、店の空間デザインや置く商品で特にこだわっている点は?
 ここで過ごす人が、それぞれの時間をどんな気持ちで過ごしてくれるか?
 出会った商品とどんな時間を過ごしてくれるか?

日常の中に、ちょっとしたイマジネーションを産む切っ掛けを作りたいと思いながらこだわりを持って場所を整えています。

Q、スタッフの人たちもユニークな人ばかりですが、どの様に集まったのですか?

日々過ごしている中で、偶然出会う中の閃きで一緒に働きたいと思う方にピンポイントで、「一緒に働かないか?」と誘いました。

Q、飲食業という視点ではコロナ禍の続いている現状は大変ではありませんか?

はい。想像以上に長引いていて難しい感覚もありましたが、今は吹っ切れたところもあり、目指している先をみて活動しています。

Q、今後の活動予定や長期的な野望など言える範囲で教えてください。

いつかサーカスのようにキャラバンを作ってみたいです。
世界中を旅しながら僕らの拠点がもう一つ衛星のように動いている感じです。
旅しながら出会ったことやモノを私たちの視点で、「HOME PLANET」に持ち帰り、感覚や概念を超えて人と人が ”愛” で混ざり合っていく場所を作っていきたいと思っています。そんな場所が日常にあることで、クリエイションから豊かな未来を描ける人が増えたらいいなと思っています。

最後の写真は家路につくジョージ君
Photographed by KEI MURATA

後書き
ジョージ君のインタビューとスナップのあとで振り返ると、33もHOME PLANETも外からの好まざる変化に対応して自ずからも変容していった結果、新しい形態や仲間たちを見つけています。まさに『ひょうたんからコマ』。
いや、もう少し良い言い方だと『変ずれば通ず』ですかね!33と此処に通底するのは23区とその外域とのちょうど境目の街、吉祥寺というにある結界の場所に生まれたこと。この街はサブカルチャーにおいて、フォーク、ロック、ジャズ、レゲエなどその時代、時代の音楽と密接に結びついた名店を生み出して来ました。エレクトロミュージック全盛だった90年年代では同じ通りにあったレコードショップの『Warszawa』と共にshop33もその一角に加えて頂けると嬉しいと思います。そして色んな音楽が混ざり合ってフラットに音を作り出す時代に生の演奏を届けるスペースのあるHOME PLANETもそんな場所の一つになってきていると思います。

スタッフが皆それぞれ、ケイ君の写真からも分かるように、とても魅力的な事。店員であり、ミュージシャンやDJでもあり店のイベントでプレイも。それがとても皆素晴らしい!吉祥寺という“家”をベースに地球を巡って自由に暮らしている。まさに「新しい遊牧民」みたいに吉祥寺を起点にして。同じ大学の後輩だけどジョージ君の方があらゆる面で優っていると思います。


ifは現世にありませんが、HOME PLANETが出来る6年前、僕とノリ君は本気で吉祥寺の不動産を回りHOME PLANETと同じヨドバシ裏の物件を探していました。カフェ、バー、ライブスペース、もちろんDJクラブに変貌する新しいブティック「next33」を。しかし、その狭間でやってしまった(??)井の頭公園での花見の席の宴もたけなわの頃、私は脳天気に日本酒を注いでもらっていたのが何度も注がれた酒をこぼしクラクラとして思わず倒れてしまいました。最後に見た桜の華の天井からヒラヒラと舞降る花びらと木漏れ日の光景は今でもたまに思い出します。

そうしてnext33の計画は頓挫してしまいました。ただそれから8年。今回のインタビュー企画を作る中で、また新しい33をやりたいなぁと触発されました。資金も具体的なアイデアがまだあるわけではありません。でも今はアイデアさえあれば40年前に比べてはるかに少ない資金でスタートアップ出来る時代です。

電脳空間(今の流行り言葉で言う“メタバース”にweb33とかmeta33とかで)に開店しようかな。それぐらいの事はジョージ君ももう考えてるか!?笑

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