「ピンク・フロイド トリビュート ライブ」を終えて

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前回のブログ記事からわずか1週間足らずで世の中は凄まじく流動的になっており、もう呑気にノスタルジックなエッセイなど書いてる場合では無くなっていると感じます。しかし敢えて能天気な記事を続けて書きます。ピンクフロイドのトリビュート・バンドのショウは大規模なイベントの自粛が要請された2月26日の翌27日に中野サンプラザで予定通り行われました。
早々に大きなイベントが中止を決める中、果たして中野サンプラザは大規模イベントに入るのかと言うとやはり大きい方ではないかと思い、直前まで躊躇しましたが平熱で咳やくしゃみもなく、マスクをつけ手袋をして経口感染に気をつけて会場に向かいました。

ピンクフロイドは私のひねくれた性格(笑)に決定的な影響を与えたイギリスのロックバンドで伝説の箱根で行われた日本のツアーの様子などを遠く広島の片田舎で雑誌などで知って想いを募らせていました。

中期の名盤『原子心母』はKLFのこれまた名盤『CHILL OUT』の発想の元になったり、『狂気』はビートルズをして嫉妬する新しいコンセプト・アルバムで世界的ロングセラーになり、『ザ・ウォール』はベルリン壁の崩壊に大きな影響を与えました。

月日は経ち実際の構成メンバーは亡くなったり、仲たがいが続き再結成は完全に無くなりましたが、今回のライブは事実上のラスト・アルバム『FINAL CUT』など後期のバックメンバーとしてその制作に参加したスタジオ・ミュージシャンの人たちで、当時のライブを忠実に再現するとのことで約1万円のチケット代も気にならないイベントでした。果たして会場に入るとそこには満席でライブを待つ同年代(50代)かそれより上の人たちで満席で、またマスクもしていて入口には手指消毒剤が置かれ暗黙の了解の様なある種の覚悟を決めた同志(少し大げさ)のようなものを感じました。演奏が始まると重厚な音圧と動画でしか見たことない巨大なセットが現れ時間の針が1970年代、高校生の自分に再会した様な恍惚感を覚えました。
彼らのプレイはピンクフロイド自身とそっくりで(いや、それ以上かも 笑)、傍を固めるバックコーラスの女性ヴォーカルのトリオも素晴らしいものでした。欲を言えば選曲が後期に偏って、もう少し全盛期曲をやって欲しかったのですが、そこは仕方ない(元々、後期のスタジオ・メンバーなので)ですかね。


と言う訳で大満足の一夜だったのですが、ふと会場を出て現実に戻ると感染者の日々の増加とそれに伴うとイベント、クラブの中止、某有名ミュージシャンの自粛呼びかけなどで活動中止を余儀無くされている状況にモヤーっとした気分に舞い戻ってしまいました。
カミュの『ペスト』は現在の世界と何も人々の心情や行動は変わっていない事を教えてくれますが、その災禍が終息した後に何事も無かったかの様に日常に戻っていく様を描いています。もし『AKIRA』の様に今年、万一オリンピックが無くなったとしても、コロナウィルスの一刻も早い終息を願うばかりです。「かいじゅうのすみか」の怪獣たちのように新型コロナ・ウィルスも人間の居ない元の場所に早く帰って平和に暮らして欲しいと思います。最後に、賛否はあると思いますが「ピンクフロイド トリビュートライブ」に細心のマナーと覚悟を持って集まったオーディエンスに敬意を表するとともに、ライブを決断してくれたトリビュート・バンドの面々とそれを支えたスタッフ、関係者に感謝します。今の状況はより深刻さを増して当時とは比較にならない日々が続いていますが、ワクワクすることや楽しいこと、笑いを何とか無くす事なく過ごしていきたいものです。

(Akira Aratake)

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